祝福のメッセージ:2013ー12

祝福のメッセージ

福音書にあらわされたキリスト

No.201312

使徒ヨハネが見た神の子イエス・キリストの姿

 

 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。
 造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。神から遣わされたヨハネという人が現われた。この人はあかしのために来た。光についてあかしするためであり、すべての人が彼によって信じるためである。彼は光ではなかった。ただ光についてあかしするために来たのである。すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
(ヨハネの福音書1章1-14節)

 「神のことばが人間と同じ肉体をもってこの世に現れた。」これがヨハネの福音書の冒頭のメッセージです。おりしも今はクリスマスの時期です。けれども「神の子イエス・キリストが世に来られた。」という本来の良い知らせはこの世的クリスマスのお祭り騒ぎにかき消されそうになっています。良いか悪いかは別として、多くの人がクリスマスの意味を知らずにクリスマスをお祝いしています。 
 そのような的はずれは現代になって始まったことではありません。
今から約2000年前のイエスがお生まれになった当時にも、ほとんどの人がその出来事の重大さを理解してはいませんでした。ですから、現代のように世界中の人がその誕生をお祝いすることもありませんでした。

 もちろん、旧約聖書を詳しく調べれば、その預言は聖書全体に溢れています。ですから、救い主の到来を心から待ち望んでいた人々もありました。しかし、それが現実に起こったことを目撃したのは、ほんのわずかの人だけでした。
 また、当時旧約聖書を学んでいた律法学者や祭司などのユダヤ人の指導者たちによる教えはイスラエル民族の救いであり、地上の王国の復興でした。
 ヨハネは神が人となってこの世に来られたことを人類全体への重大な出来事として受け止めて、それを広く世の人びとに知らせようとしたのです。それが、ヨハネがこの福音書を書いた理由でした。

 これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。
(ヨハネの福音書20章31節)

 イエス・キリストの生涯を記録した福音書の中でもヨハネの福音書は最後に書かれたものです。紀元後85年から90年頃のことです。ですから、イエスの生涯についてより多くの実話や記録をもとにして注意深く書くことが出来ました。
 ヨハネは、神が人の姿をとって来られたイエスは神ご自身であることを強調して、その冒頭から「イエスは神である。」「この方は人類を罪から救うために、人となってこの世に来られた。」というイエスの誕生の意味を知らせる記述から始めています。マタイやルカのように、イエスの誕生の記事から始めることをしていません。もっとさかのぼって、万物の創造のいきさつから始めているのです。

 イエス・キリストは神と一つであり、万物の創造の初めから存在しておられた神ご自身です。ですから、被造物の一人ではありません。創造主が、人間である私たちに見える姿を取って顕われたのです。
 このようなヨハネの言葉が、後になって、多くの議論の末、神のご性質を表す三位一体という神学的な表現を生み出すことになります。

 神は、私たち人間の知恵や言葉で表すことが出来るほど小さな方ではありません。ヨハネも神のご性質を表すことにいつも限界を感じていたことでしょう。言葉では表せないほどの究極の恵みに満ちたご性質をどのような言葉にしたらよいのかを考えたことでしょう。

 ヨハネが選んだ言葉は、いのち、光、恵み、愛でした。
 イエス・キリストはいのちの源であり、人々の心の奥底を照らす真理の光であり、愛と恵みに満ちた方です。
 
ところが、この世はその方を知りませんでした。全ての物を創造なさった栄光と愛と恵みに満ちた創造主が分からなくなるほど心が離れてしまっていたのです。それゆえ、この方を受け入れることも信じることも出来なくなっていました。
ご自分が創造なさった、ご自分の世界に来られたのに、造られた者たちが造り主を知らず、迎え入れることすらしませんでした。
 それでも、神はこの世を愛し、私たち一人一人を愛してくださいました。
 それだからこそ、イエス・キリストがこの世に顕われてくださり、神に立ち返る道を開いてくださったのです。
 イエス・キリストの生涯は、罪によって神から離れてしまっている全ての人を神のもとに引き寄せるためにささげられました。私たちが信じて神に立ち返ることが出来るよう、その道を具体的に表してくださったのです。
 この方を信じた者にはこの方が持っておられるのと同じいのち、永遠のいのちが与えられます。
私たちはヨハネが表現しているイエス・キリストの生涯を学ぶことによって、神の愛の究極の姿を学び、そこにたどり着くことが出来ます。
 栄光に満ちた神が、私たちと同じ姿になってこの世に来てくださいました。
 それを知って初めて私たちはこう叫ぶことが出来ます。

 クリスマス おめでとうございます。