祝福のメッセージ
No.201401
クリスチャンになった息子と無神論者の父との往復書簡
今回からのメッセージはグレゴリー・ボイド博士による「懐疑論者からの手紙」という著書からの引用を要約したものです。キリスト教信仰について日頃から誰もが疑問に思っていることへの答えを見つけ出すことが出きる内容です。これは実際にボイド博士とその父親との文通をもとにしています。あなたの信仰の助けとなり、あなたのご家族の救いにも役立つことを願ってお贈りします。
1.愛の神がなぜ教会に数々の悪を行なわせたのか
お父さんへ、
私が14年前にクリスチャンになり、お父さんのおかげで大学で学び、今ではキリスト教弁証論を教えるようになったのに、まだお父さんとは一度も私の信仰について話し合ったことがなかったことに気が付きました。今からしっかりと向き合って私の信仰について知ってもらいたいと思います。
お父さんが信仰を持っていないことはわかっていますが、それがはたしてしっかりとした根拠にもとづいたものかどうかを考えてほしいので、これから私の信じるキリスト教信仰について心を割って論じ合いましょう。どんな疑問でも反対意見でも言ってほしいのでこの手紙を書くことにしました。どうかお返事をください。
グレッグより
息子よ、
おまえが学んできたことについては心から尊重するけれど、なぜ、もっと合理的な考え方を持つことをしないでクリスチャンになったのかは以前から不思議に思っていた。正直言って訳が分からない。おまえの言うとおり、これからじっくりと議論し合おうじゃないか。
どんな反対意見を言ってもいいというのだから、まず聞きたいことがある。
なぜ、全能で愛に満ちているという神が、教会によって様々な悪を人びとに行なうことを許して来たのか。教会は地上で神を代表しているはずではないのか。私がかつてカトリックの教会に行っていた頃はそのように教えられてきた。
だから、私は尋ねたい。教会がクルセードの名のもとにイスラム教徒たちやユダヤ人たちを殺害したのはなぜか。スペインで行なわれた異端粛清やホロコーストによって、神の名のもとに大勢の人々が殺害されたではないか。
この事実だけでも、教会が真実な哲学にもとづいていないことを示すのに十分だと思う。そんな教会が「聖書は神のことばだ」と主張しても信じることはできない。これが私からの第一の質問だ。まずこれに答えてもらいたい。
まだ疑問や質問はたくさんあるけれど、今はこれだけにしておこう。
愛をこめて、父より
愛するお父さんへ、
私とキリスト教信仰について話し合う気持ちになってくださってありがとうございます。このことは私たちにとってとても有意義な経験になると思います。
ひとつだけお願いがあります。それは「キリスト教が教え、伝えてきた中心的なことに目を向けていただきたい」ということです。なぜなら、私が信じているのは、人格を持った神がおられ、イエス・キリストを通して世界に救いと恵みをもたらし、聖書を通してその事実を知らせておられる、ということです。私は、多くの方々が人生にこの方とのかかわりを持つようになることに人生をかけているのです。
この信仰こそ最も具体的な世界観です。そして、私の目指していることは、正直にいうと、お父さんをこの真理に導き、キリストとの個人的な関係を持ってもらうことです。この関係こそが人生を最も有意義なものにし、平安と喜びのある生き方だと確信しているからです。
そこで、あなたの主張しておられることについて反論します。
かつて教会、あるいはいかなる宗教的な団体が行なってきたことについて、神にその責任を求めることは出来ません。
聖書が伝え、イエス・キリストが具体的に示し、多くの人々によって体験され、私が信じている神は、愛のお方であり、その愛のゆえに私たち人間に自由意志を与えておられるのです。その自由意思は、人を愛し、良いことをすることを選ぶことも出来れば、逆に、人を憎み、悪を行なうことを選ぶことも出来るのです。
ですから、行なわれた悪について神に責任を求めることは、人間が自分の意思では何も判断できず、ただ神の意志だけを行なうロボットのように造られたと主張することになります。そうだとすると、愛というものは存在しないことになります。
ですから、全ての悪は神の意志によって行われたものではなく人間が自由意志で選んだ行ないによるものです。神の意志も行ないも愛であり善です。
お父さんが言うように教会の名のもとに行なわれてきた数々の悪がクリスチャン精神なのではありません。キリスト教の本質は団体や組織ではなく、神と人、人と人との関係のことです。ですから、そこから良いことを目指す多くの人々が生みだされ、社会に貢献しているのです。教会またはキリスト教団体がクリスチャンなのではなく、神と人とを愛する心を持った人がクリスチャンなのです。
ですから、キリスト教の名のもとに行なわれた数々の悪に対しては弁解出来ません。
こうして、論じ合うことが出来るのをとても嬉しく思っています。
どうかまた意見を聞かせてください。
感謝を込めて、あなたの息子より
(今回の内容には、ボイド博士の著書からの要約と引用が多く含まれていますので、著作権尊重のため、このシリーズについては、転用や転載をなさらないようお願いします。)