祈りの家族への手紙:2014-02

 もし、あなたの友人が医者から宣告を受けて、「良くてもあと2年の命です。」と言われて落ち込んでいるとしたら、そんな時、「お祈りしていますよ。」という言葉だけで本人にあなたの心が届くでしょうか。また、その友人のために確信をもった祈りが出来るでしょうか。

 祈りは単なる願い事ではありません。神への真剣な語りかけです。自分の願いを一方的に告げるだけでなく、神への自分の祈りがどのように展開するのかをしっかりと見届けることが大切です。それだけが祈りの全てではありませんが、祈りの習慣によりそれを繰り返すことによって、あなたの心を注いだ御心にそった祈りが少しずつ築かれていくのです。

 ですから、祈りの課題があるときも、ないときも、いつも祈る習慣が大切なのです。祈りが私たちを神に近づけてくれるからです。祈りによって神を近くに感じると、どんな時にも御心が行われるという平安と確信をもつことが出来るようになります。

 イエスもしばしば祈りの時を持たれました。神と誰よりも近い方であり、誰よりも神の御心がお分かりになるイエスですが、神であられる方なのに人となられた以上は人としてこの地上を歩まれました。それゆえ、神との祈りの時が最も大切であることを知っておられたのです。それは私たちにとって、とても大切な手本です。

 私たちは毎日忙しく時間に追われて生活しています。しばしば大切な祈りの時間を軽んじがちです。イエスは大勢の群衆に囲まれ、教えたり、病人を癒したり、悲しんでいる人を慰め力づけるなど数々の奇跡によって人々を助けておられましたが、朝早く、あるいは夜おそくなってから、時間をつくっては寂しいところに退いて祈りの時を持たれました。

 群衆を帰したあとで、祈るために、ひとりで山に登られた。(マタイ14章23節)

 イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。(マルコ1章35節)

 私たちには毎日やらなければならないことがたくさんあって、日々忙しい生活をおくっています。あれもこれもみな大切なことばかりです。ですから、何が一番大切なことかを自分で選ばなければなりません。けれども、いつも祈りがあとまわしにされてはいないでしょうか。

 祈りの時間が持てないほど私たちを忙しくさせているのは何でしょう。私たちは私たちを忙しくさせているものに支配されて、その奴隷となってしまうことに気が付かなければなりません。

 どんなに忙しくても、祈りの時間はいろいろな方法でつくることが出来ます。ある友人は毎日の長い通勤時間を聖書を読み祈る時間に決めているそうです。それはとても素晴らしいことだと思いました。長い間机に向かって仕事を続けていたり、こまごまとした家事を長時間続けていると目にも体にもよくありません。そのようなときには時々目を休め、体を伸ばして遠くを見つめ、天を見上げて、短い時間神に話しかけてみるのはどうでしょう。長い時間でも短い時間でも、どんなことをしている時でも、祈りの時間を持つことはとても大切です。

 自分を取り巻く環境や外からの力に強いられ押し流されて時間を過ごすだけでは、自分を見失ってしまいます。祈りはあなたの時間や心を支配しようとしている全てのことから自由になって、本当の自分を取り戻し、神とだけ向き合うことの出来るひと時です。

 神を信じていても生活の中に祈りがなければ、神を知っていると思っているだけです。神との交わりの時間を持ち、神と語り神からの語りかけに耳を傾けることをしなければ、いつまでも御心が分かりません。全てのことを神なしで、自分の判断だけで生活していると、困難に直面したとき、どう祈ったらいいのか、どのように神に助けを求めたらいいのか分からなくなってしまいます。

 祈りはその人と神との問題ですから、あなたの祈りが他の人の祈りと違っていてもいいのです。このようにしなければいけないという決まりはありません。ですから、あなたの方法で神との時間を持てばいいのです。

 誰でもどう祈ったらいいのかわからない場合があります。そういう時は、イエスが「このように祈りなさい。」と言われた「主の祈り」から始めるとよいと思います。(マタイ6章9-13節)その中に、「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。」という一節があります。日ごとの糧以外にも求めたいことがあるときは、あなたの言葉で素直にそれを求めていいのです。また、信頼できる誰かの祈りを見習うのも良いと思います。その人の祈りを自分の言葉で口にしてみるのです。そして、そこに自分の気持ちを添えるのです。すると、それが自分の祈りになってきます。聖霊はいつでもあなたの祈りたいという気持ちを助けて、祈りを導いてくださいます。

 私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。(ローマ8章26節)

 祈りを通して、神はあなたの苦悩や恐れを取り除いて、平安を与えてくださることでしょう。   2014年をあなたと神との交わりが豊かにあり、日々慰めと平安のある年となさってください。

 あなたは愛されています。

レックス・ハンバード祈りの家族

桜井 剛


追伸:あなたが祈れないときのために、私の祈りをここに書き添えます。これはあくまでも私の祈りですが、あなたの助けとなり励ましとなって、あなたの祈りの生活に役立つことを願っています。

 天地万物をお造りになり、この私をも創造してくださり、愛を注ぎ続けてくださる全能の神、主よ、あなたの御名をほめたたえます。あなたが全てを知り尽くし、治めておられるゆえ、どんなことがあろうとも最終的には平安でいられることを感謝します。あなたの知恵とお計らいをあらゆるものの中に見させてくださることを感謝します。今私が直面していることも、私の心の思いも知っていてくださるので感謝します。人の心の痛みや不安をもっともっと理解するようになり、あなたの御心にかなった歩みが出来るようお導きください。イエス・キリストのみ名によって、アーメン。

 主よ、心にかかるあの人にも、あの人にも、今あなたの助けの手を伸べて、平安と力をお与えください。あなたの助けを必要としているあの人の手を取って引き上げてください。日々の必要を満たし、肉体と心の痛みを取り除いて、癒しと平安をお与えください。アーメン