祝福のメッセージ:2014ー02

祝福のメッセージ

No.201402 

クリスチャンになった息子と無神論者の父との往復書簡

2.愛の神がおられるなら、なぜこの世は苦しみに満ちているのか

 息子へ、

 早々と返事をくれてありがとう。忙しいだろうにこんなに早く返事をくれるとは驚いたよ。私には比較的時間があるので、返事をくれるのはおまえのスケジュールに合わせていいのだよ。

 教会とキリスト教の教えとを一緒にしてはいけないということはよく分かったけれども、やはり教会はあくまでもこの世界で神を代表している存在だと思っていたのだが、間違っていたのだろうか。いずれにしても、過去の歴史上で教会が犯した過ちは、この世の中にある数々の悪や苦しみに対して私が持っている疑問のほんの一部分にすぎないのだ。

 もし、神がこの世界を創造し被造物を愛しているというのなら、なぜこの世にはこんなにも多くの苦しみがあるのか。お前の手紙では、人間に自由意志がある以上、神は人がどのような選択をしたとしてもその結果については関与しない、とあった。もしそうなら、誰かが悪い選択をしたために何の罪もない人が痛み苦しんでいるのに、全能で愛を持った神がそれを放っておくのはなぜか、という疑問が残る。

 最近フロリダで刑務所から出たばかりの犯罪者が少女を強姦したうえ殺してしまう事件があった。確かに犯罪者は自分の意志で犯罪を犯し捕まって刑罰を受けるのだが、殺された何の罪もない少女にはそうならない選択は与えられていないのか。また、アフリカでは干ばつのために何百万人もの人が餓死しているのに、愛の神がそこに雨を降らす事すらしないのは何故か。神はその人たちが苦しむのを見過ごしにしているのか。それとも忘れているのか。それとも、イスラム教徒が多いので罰を下しているとでも言うのか。それでは、忘れられているよりもひどいではないか。

 いずれにしても、もし、全能で愛に満ちた神が存在するならこの世界はこんなにはならなかったはずだ。これがお前の説明による自由意志というものの結果であるというだけでは納得がいかないのだ。

 今回はここまでにしておこう。お前からの返事を楽しみにして待っている。

 愛をこめて、父より

 

2.愛の神がおられるなら、なぜこの世は苦しみに満ちているのか――に答えて

 親愛なるお父さん。

 正直言って、今回の質問はとても重要な点をついています。あなたの疑問は神を信じる者が直面している最も難しい課題の一つでもあり、とてもいい論点です。

 フロリダで起きた、少女を強姦したうえにずたずたにして殺した事件の犯人にはそのような極悪非道な行ないを選択する自由意志を与えておきながら、被害者にはそれを避ける選択の自由が与えられなかったことへの疑問はもっともです。

 このようなひどい出来事に対しては誰もがそのやりきれない感情を神に対して向ける気持ちは理解できます。

 聖書の中にもそういう正直な気持ちを言い表したり、怒りを込めた祈りを神に向けた信仰の勇者たちのことが書かれています。ヨブやダビデやエレミヤなどがその良い例です。けれども、神はそのような非難や疑問によって存在が危なくなるような方ではありません。

 そうした怒りの感情がおさまって、このような罪悪の責任はどこにあるのだろうかと静かに考えてみると、それが神の責任であるとは誰にも言いきれないことが分かります。

 お父さん、私はこう思うのです。もし、神が創造なさった全てのものに自由意志をお与えになったのなら、その自由意思をどのように用いることも自由です。間違った用い方をすることさえも、たとえそれが誰かを傷つける結果になることが分かっていても、それをお許しになるはずです。人を愛することを選択する自由意思は、人を傷つけることを選択する自由意思があることを前提にした選択です。初めから愛することだけしかできないロボットとして私たちは創造されたのではありません。そのような愛には値打ちはなく、そのような創造もあまり意味がありません。

 ですから、誰かが与えられた自由意志で人を傷つけ苦しめることを選択した時、神がそれをお止めにならない理由は、その自由意志が完全な自由意志だからです。

 たとえば、私が娘に小遣いをあげたとします。あげたのだからどのように使うのも自由なはずです。もし、私がその使い道を指図したり、私が良いと思うものだけを買うことしか許さなかったとしたら、そのお金は本当に娘のものではなく、私のお金を娘を通して私の思い通りにしているだけで、本当に与えたことになりません。

 神が私たちに自由意志をお与えになったということは、その使い道に対しては全く干渉なさらないということです。神はご自分の意志や力で人に良いことを行なわせるのではなく、自発的に良いことをするようにと願って人に自由意志をお与えになったのです。残念ながら人はそれを悪い事にも用いるようになってしまいました。「愛の神が、なぜこんなにも多くの残酷な悪が行われるのを放っておかれるのか」という難しい疑問に対して、私の説明が何らかの参考になればと願っています。

 この世の中には人を人とも思わない極悪非道な行ないが可能である故に、自分の益を求めない献身的な愛も存在するのです。

 それをどう思うか、お父さんの意見を聞かせてください。

 返事を楽しみにしています。

 愛をこめて、息子のグレッグより