祈りの家族への手紙:2014-05


 イエスは私たちを罪から救うために十字架の上で命を投げ出してくださいました。ユダヤの律法学者や祭司長たちの謀略による不当な裁きによって最も残酷な処刑をお受けになったのです。けれども、三日目に復活して、弟子たちを始め大勢に現れ、人々の見守る中で天に帰られました。その時イエスは次のようなことばを弟子たちに言い残されました。

 エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。(使徒1章4-5節

 イエスが去って行かれた後、弟子たちはイエスが命じられた通りエルサレムにとどまり、迫害を恐れて、ある家の屋上の間に身を寄せて祈っていました。そして、五旬節の日になると、イエスが約束された通りのことが起こりました。弟子たちが祈っていた部屋全体が揺れ動き大風のような響きと同時に弟子たちの心は神の臨在を感じて激しく燃えました。そして、力いっぱい神を讃美していると、その声はいつしか外国の言葉になっていました。大きな音を聞きつけて集まって来た人々の中には外国から来ていた人々が大勢いました。一度も外国に行ったことのない弟子たちが、外国から来ている自分たちの母国語で祈っているのを聞いて人々は驚いて言いました。

 「これはいったい、どういうことだ。なぜこの人たちは、私たちの母国語を話せるのだ。」

 これが、弟子たちの上に初めて聖霊がくだった日の出来事です。その日は五旬節またはペンテコステの日と呼びます。今年は6月8日がその日です。そこで、今月は聖霊についてお話をします。

 聖霊と聞くと、何か霊感じみた狂信的なもののように感じて違和感をおぼえる方がおられるかも知れません。けれども、イエスの弟子たちが体験したのはそのように迷信的なものではありません。はっきりとした根拠のある、否定できない崇高な出来事です。それ故、この出来事はイエスの復活とともに、弟子たちによってしっかりと受け継がれ、何世紀にもわたって伝えられてきました。

 弟子たちが初めて経験したこの聖霊の体験は、他の信者たちの間に広がり伝えられ受け継がれました。キリスト教の信仰が確立し始めると間もなく、第一回目の教会会議(ニケア会議)によって「神は、父、子、聖霊の三つの現れ方をする」という、三位一体の教えの大切な要素となりました。

 神は唯一ですが、イエス・キリストは神の子として、人の姿となって私たちの間に現われてくださいました。天地宇宙の創造者である全能の神が、人となってこの世に来てくださいました。

 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。(ヨハネの福音書1章1節、14節)

 神はイエス・キリストを信じる者の心に聖霊として住んでくださいます。聖霊は私たちがイエスの教えを思い起こし、困難の中でも喜びと平安を失わないよう私たちを助けてくださいます。

 「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。

 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。

 父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」

 (ヨハネの福音書14章16、17、26節 からのイエスのことばです。)

 神はあくまでも唯一です。唯一でありながら、父、子、聖霊、の三つの現れ方をするということから三位一体の教えと呼ばれるようになりました。

 これは人間の常識ではなかなか捕え難く、完全に理解することは難しいと思いますが、もともと、被造物である人間が創造主である神を完全に理解するということはあり得ません。

 完全に理解していなくても、その恩恵にあずかることは出来ます。イエス・キリストを信じている人は、気が付いていなくても、聖霊の力によっていつも守られているのです。

 私は生涯を振り返って、何度も大きな問題や危険を体験しました。命の危険もありました。病気をしたことも、経済的な危機も経験しました。外国にいて、頼れる知人は一人もおらず、これからどうなるのかも分からず、力のなさに途方に暮れた時もありました。しかし、振り返って見るとその都度、不思議な方法で助けが現われたり、知恵を与えられたりして、それを乗り越えることが出来ました。到底自分の力ではないと思われることが、しばしばありました。実は、いつも守られていたことに、その時には気が付かなかったのです。

 聖霊は大変謙虚な方です。「これは私の力によるものだ。」とはおっしゃいません。そのために、私たちはしばしば気が付かないことがあります。けれども、イエスを信じる者にはいつも共にいてくださり、神の御心を行なってくださいます。

 イエス・キリストを信じたら、問題や困難が何一つなくなるというわけではありません。けれども、いつも平安があります。イエスは言われました。

 「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネの福音書16章33節)

 もし、あなたがイエス・キリストを信じておられ、その教えに従いたいと願っておられるなら、聖霊はあなたと共にいてくださり、あなたを導き、あなたを守り、あなたに最も適切な知恵を与えて、どんな困難にも勝利させてくださいます。世の患難があなたを打ち負かすことはありません。

 もし、あなたが今、大きな困難に直面しておられるなら、イエス・キリストが与えると約束してくださった聖霊の力と知恵を求めてください。あなたを愛し、あなたの平安と喜びを最も願っておられる父なる神は、イエス・キリストを通して約束してくださった聖霊によって、あなたに知恵と力を与え、その困難を乗り越えさせてくださいます。あなたが健康であり、霊肉共に恵まれて喜びと平安に満たされていることが神の御心だからです。

 あなたは愛されています。

レックス・ハンバード祈りの家族

桜井 剛