祝福のメッセージ:2014ー05

祝福のメッセージ 

No.201405 

クリスチャンになった息子と無神論者の父との往復書簡

5.神はなぜサタンのような悪いものを創造したのか

 息子へ、

 おまえの言う自由意志にとやらよって、人は善を選択することも悪を選択することも出来て、人が悪を選択することによって悪がはびこり、多くの人々が苦しむことはよく分かる。だが、この世界は神の創造によるものだと言うのだから、そのような悪い選択になる可能性のあるものを造らなければ良かったのではないか。

 罪の始まりは人がサタンの誘惑によって神の意志に反する選択をしたためである、と聖書に書いてある。人を誘惑して神の教えに背かせるようなサタンを神が創造したのは何故か。創造者の全能の力と自由意志による選択が今一つ納得できない。

 さらに分からないのは、なぜ神は悪を選択するような性質を持つ人間や悪を選択させるサタンを造られたのか。神が造られたのなら全ては神の責任ではないのか。

 プリンストン大学やイェール大学で学んだ秀才のお前が、なぜ、サタンとか天使とか聖霊というような迷信じみたことを信じているのかも分からない。

 疑問が疑問を呼び、ますます分からなくなる。こんな初歩的な質問はきっとお前には退屈に違いない。それに、私は昔から理屈っぽく、頑固な性質だから、こんな議論をしていても何も分かって来ないような気がする。だから、私のことは気にしないで、もしいやになったら、いつでもやめてくれてもいいのだよ。

 かわいい孫たちのことだけはこれからも知らせて欲しいがね。

 愛をこめて、

 父より

5.神はなぜサタンを創造したのか、という疑問に答えて

 親愛なるお父さん。

 どうか、私が退屈するなどと思わないでください。それどころか、ますます興味を持ってお父さんの質問に挑戦しようとしています。たとえ、私がお父さんの質問に全て答えて、お父さんを納得させることができなかったとしても、このような討論はとても有意義だと思っています。

 でも、きっとお父さんも、いつかは信じるようになることを確信しています。

 確かに、聖書の記事は初めて読む人にはおとぎ話のように感じられるかも知れません。けれども、この世界には確かに物質的な存在と霊的な存在とがあるのです。私も初めはそんなものは存在しないと思っていました。

 けれども、今はそれが真実を表現していることがよく分かります。霊的な存在が私たちに大きな影響力を持っていることは確かです。

 私たちはともすると目に見えるもの、手で触って確認できる物質的なものだけが実際に存在すると思いがちです。けれども、物体ではなくても大きな力を持っている物はたくさんあります。テレビやラジオの電波は目には見えませんが私たちのまわりを飛びかって、たくさんの情報を遠くまで伝えています。地球の裏からでも声や映像を伝えることが出来ます。電波そのものは見ることも手で触ることも出来ませんが、今では、その存在を否定する人はいません。

 目に見えない霊的な存在が私たちの選択や判断に影響を及ぼすことは決して現実を離れた出来事でも迷信でもありません。聖書の教えは明らかな真実です。

 その他のお父さんの質問は大変有意義な点をついています。そして、全て関連した質問ですので、その中心点になることにお答えすることによって一度にその疑問の全てにお答えしようと思います。

 神は初めから悪をもたらすものを造らずにおくことが出来なかったのでしょうか。

 前にも書きましたが、愛は強制するものではなく自由な選択によるものです。愛の選択が強ければ強いほど、悪を選択したときの悪も大きいものになります。けれども初めからそうだったわけではありません。最初は小さな選択から始まりました。けれどもその選択は次の選択に影響します。そして、選択を繰り返すごとに、愛を選択した場合の愛は強くなり、ますます愛を選択するようになり、悪を選択した場合はますます悪を選択する可能性が強くなり、その悪も大きくなっていくのです。

 私は一人の老婦人を知っていますが、彼女はとても醜い顔つきをしていて、惨めで意地悪な心を持っています。

 実は彼女はとても美しく可愛らしい優しい女性だったそうです。けれども19歳の時、結婚式の三日前に、婚約者が妹と一緒になって去って行ってしまったのです。

 彼女はひどく辱められ、傷つきました。けれども、もっと悪いことに、それ以来、憎しみと恨みの心を持ち続け、妹が何度わびても変わりなく、50年もの長い間、ことあるごとに赦すことや忘れることを選ぶことなく、恨みの心を強めていました。他の選択もあったのに、彼女の選択の繰り返しが、今の彼女を作り上げたのです。

 愛を選択する場合も同様です。初めは小さな選択でも、愛を選択することを繰り返すたびに大きく強くなるのです。私とシェリー(妻)の場合もそうでした。初めは愛することも愛さないことも同じくらいの選択でしたが、今では愛することが当たり前の選択になり、愛さないことの選択の余地はほとんどありません。

 悪も善も愛も初めから神がお造りになったのではありません。神は人に自由意志を与えて、私たちが良い選択を重ねそれを育てることを願われたのです。ここに神の愛が秘められています。お父さんも神に愛され良い選択を期待されているのです。

 私の大きな愛をこめて、

 息子のグレッグより