世界的に名の知られている日本の神学者の中に、北森喜蔵博士がいます。北森喜蔵は、宗教改革者マルチン・ルターの神学に感化を受け、第二次世界大戦直後の混乱の時代に「神の痛みの神学」を提唱し、数々の論文や著書を発表して世界中で注目されました。
「神の痛みの神学」を簡単に要約すると、「聖なる神は罪を見過ごすことは出来ない。罪は完全に罰しなければ神の義は成り立たない。けれども、神は絶大な愛のゆえに、ご自分が痛みを負うことによって完全な聖さと人への限りない愛とを貫かれた」ということです。
もちろん、それがイエス・キリストの十字架であり、福音の中心です。
「本来神は完全であり、何も欠けたところのない方なので、痛んだり苦しんだりすることはない」と主張する西欧哲学的な神学に対して、東洋的な新しい考え方を投げかけたという点で大いに評価されました。本来、聖書は東洋的な考え方を持った民族を背景にして与えられたものだからです。
主は言われる、背信のイスラエルよ、帰れ。わたしは怒りの顔をあなたがたに向けない、わたしはいつくしみ深い者である。いつまでも怒ることはしないと、主は言われる。 エレミヤ3章12節
エフライムは、わたしの大事な子なのだろうか。それとも、喜びの子なのだろうか。わたしは彼のことを語るたびに、いつも必ず彼のことを思い出す。それゆえ、わたしのはらわたは彼のためにわななき、わたしは彼をあわれまずにはいられない。 エレミヤ31章20節
北森喜蔵は「わたしのはらわたは彼のためにわななき、」とあるこのことばから、「神は背信の民を思い、御心を痛めておられる」と言っています。
私たちは神がご自分の心を痛めるほどに私たちを愛してくださっていることを忘れたり、軽んじたりしてはいないでしょうか。
神は確かに完全な方で何一つ欠けたところはありません。だから、痛むことも苦しむこともないはずだと思ってしまいます。けれども、どんなに大きく考えたとしても、それは人の知恵で考えた単純な完全さです。神の完全さ、全知全能の姿がどのようなものかを私たちが知り尽くしているわけではありません。ですから神が痛むことは神の本質と矛盾するように感じてしまうのです。
けれども、聖書には神がお怒りになったり、悲しまれたり、心を痛めたりなさったことが何度も書かれています。それは、神が人をこの上なく愛しておられるからです。
「愛が裏切られたとき怒らないとしたら、それは本当の愛ではない。
その怒りを愛によって表すことが出来ない神は、本当の神ではない。」と北森喜蔵は言います。私たちが信じている神は、イエス・キリストによってそれをなさったのです。
子どもが悪いことをしたとき、心を痛めたり叱ったりしないとしたら、それは本当の親ではありません。子どもを愛する本当の親なら、叱ると同時に叱らなければならないことに心を痛めます。「悪いことは悪い」と教えなければなりませんが、「叱ること」によって「心が離れてしまうかも知れない」という危険をおかすことになります。たいていの子どもは「お父さん、お母さん、叱ってくれてありがとう。」とは言わないからです。
完全な聖さを持っておられる神が人間の罪を負って十字架の上で苦しみ、いのちを投げだされたのは、私たちを罪から救うためであると同時に、私たちが神との親しい交わりを取り戻すためです。その真理を頭で考えるだけでなく、信仰を通して神に近づくことによって、心の深いところで感じるとき、御心に関する奥義を知るようになります。そのようにして、私たちは信仰によって神の御心を理解し、神を知り、神と交わることが出来るのです。神学は必要ですが、神学を知らなくても神を知ることは出来ます。「神は私たちが探しさえすれば必ず見出すことが出来る」と聖書は教えているからです。
もし、あなたが神を求めるなら、神はあなたにご自分を現わされる。(歴代誌第一28章9節)
これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。(使徒の働き17章27、28節)
ですから、あなたが神に祈る時も、精一杯神に近づいて神との交わりを求めてください。ただ、お願いだけをしてそこを去る偶像礼拝者のようにならないために、神と語り合い、神と交わる時を持ってください。あなたの人生にとっては、祈りが聞かれる以上に、神と語り合って、神からいただいた自分の人生の尊さについて教えていただくことが大切です。
私は子どもたちがまだ小さかった頃を思うときいつも、親として、子どもたちのためにしてあげなかったことやしてあげられなかったことがたくさんあったことを思い出します。あれもしてあげたかった、これもしてあげたかったのにと悔やまれます。けれども、子どもたちとの交わりは持つことが出来ました。今では、私が子供たちのことを心配する以上に、子どもたちは年老いた私たちのことを心配してくれます。数年前の原発事故の時には、「すぐに、私たちのところへ避難していらっしゃい。」とさえ言ってくれました。もちろん、そんな必要はありませんでしたが、その気持ちをうれしく思いました。
神はあなたの祈りを聞こうと待っておられます。それは間違いないことです。けれども、それにもまして、神はあなたを愛しあなたの人生の全てに関心を持っておられるのです。神が心を込めて特別にお造りになったあなたの人生が、どのような人生になっていくのかは、神にとって大切なことなのです。あなたの人生をあなただけにしかない最高の人生に仕上げてください。神はそれを願い、そのように生きるあなたを助けてくださいます。
私たちは神の御心を痛めてしまうことがあるかも知れませんが、それでも神はイエス・キリストのゆえに私たちを赦してくださり、私たちを愛してくださいます。大切なことは、いつも神に近づいて、神との交わりを持ち続けることです。
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード祈りの家族
桜井 剛