祈りの家族への手紙:2014-07


 「最近は神学や哲学や科学の難しい話が多すぎる」と言われ、つくづく反省しています。

 そこで今回は、身近なものの中にある神の恵みを皆さんとご一緒に堪能したいと思います。

 私がいつも驚き、また感心していることの一つは人間の体が持っている自分で自分を治す素晴らしい仕組みです。その能力は数えきれないほどあって、すでに分かっているだけでも、知れば知るほど驚きの連続です。小さなけがやお腹をこわした時はもちろんですが、大けがや大病であっても、治療と共に人間の持っている治癒力が大きな役割を果しています。私たちの体は毎日目に見えない小さな傷や、周りにある数えきれない病原体と戦って私たちを守ってくれているのです。

 私の知っている方が、今がんの治療を受けています。なかなかむつかしい状態らしく、抗がん物質が思うようにきいてくれないそうです。主治医に、「出来る限りの治療をしているので、後は自分の免疫力が大きな力になります」と言われたそうです。高度の先端医療であっても、人間が本来持っている治癒力が大きなカギを握っているという事実に驚かされました。

 私たちは誰にでも、そのような能力が初めから与えられているのです。神は私たちに素晴らしい能力を与えてお造りになったからです。

 ですから、今病気で苦しんでいる方も希望を持ってください。あなたにもその力が備わっているのです。神がそれをあなたに与えてくださったからです。あなたが癒されて、もとのように元気になることは神の御心です。今元気な方は、そのようなすばらしい体を与えてくださっている神に感謝してください。大切に管理して、傷つけたり損なったりしないで末永く健やかであってください。

 愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。(ヨハネの第三の手紙1章2節

 私が良く知っているお医者さんが、ご自分の研究をまとめて、食生活と精神活動との関係を分かりやすく解説した本を送ってくれました。それによると、私たちの食べ物がどのように頭脳を刺激して、必要なホルモンを出させ、人間の体の活動の細部に至るまでをどのようにうまく働かせて、精神的にも安定した健康な体を維持しているかが分かります。その働きは、驚くほど巧妙で細部にいたるまで念入りに仕組まれていて、そこにも造り主の思いやりが込められていることを感じさせられました。神は私たちの体を、何と大きな愛と思いやりを込めて造ってくださったことでしょう。

 次に、私がいつも感心していることは、自然の美しさです。自然がなぜこんなに美しくなければいけないのか。なぜ、人間がそれを美しいと感じる必要があるのか。その両面で驚きを感じます。

 私たちが美しいと感じるのは、花や草木、動物たちのような生き物だけではありません。山や海、空も星も美しいと感じます。私たちがそれを見るとき、その色自体がこの上なく美しく完璧だと感じるのです。それを遠くから眺めても、顕微鏡で細かく観察しても、どこをとらえてもあふれるばかりの美しい調和と知恵を感じます。地球そのものが限りなく美しいものだからです。もし私が、広大な宇宙全体を眺望することが出来たとしたら、きっと最高に美しいと思うに違いありません。今日もその中のほんの一つだけを見ても、美しいと感じることが出来ることを感謝します。

 イエスは「言われました。空の鳥を見なさい。」「野の花を見なさい。」 「きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。」(マタイの福音書6章30節)

 神は、愛と思いやりをもって、人類をこの地上に創造なさいました。けれども、人は神に背き、罪を犯して神から離れ、神との交わりを見失ってしまいました。私たちは、私たちを創造してくださった造り主さえ分からなくなってしまったのです。神は、あるいは選民イスラエル民族の歴史を通して、あるいは、全ての被造物の中に込められた細かい思いやりと調和を通して、私たちに限りない愛を示してくださっています。けれども、人類の罪はあまりにも大きく、歴史の中で備えられた救いのご計画も、創造の中に込められている神の愛の深い思いやりにも気が付かずに来ました。

 神は人類の歴史を通してだけでなく、被造物の美しい調和の中に、また、私たちの人生のあらゆる出来事を通しても語り続けておられます。そして、神のひとり子、イエス・キリストの十字架による罪の贖いによって、最も明らかにご自分の限りない愛の姿を示しになりました。

 私たちは今、神と出会っているのです。あなたがイエス・キリストに真剣に目を向けさえすれば、愛と思いやりを込めてあなたを造ってくださった神と出会うことが出来るのです。ご自分の状態を気にする必要はありません。他の人と比べる必要もありません。あなたの人生は神があなただけに与えてくださった、他にはないあなただけの人生だからです。

 私は時々、自分自身にがっかりします。何でこんなに失敗を繰り返すのだろう。どうしてもっと気をつけないのだろう。なぜあんな馬鹿なことをしてしまったのだろう。そう思い始めると限りがありません。それでも神は私を見捨てず、愛してくださり、次の一歩に期待してくださいます。
 あなたも神に造られた大切な方です。どんなことがあっても見捨てられることはありません。

 私はベランダで野菜を育てています。ところが、農業の心得のない私は種を蒔いても、間引きをしないために、全部が雑草のように育ってしまうのです。それを見かねた妻が、「間引きをして、良いのだけを残して育てたら。」とアドバイスをしてくれますが、どうしても、それが出来ません。曲がったものも、小さいものも抜き取ることが出来ないのです。虫に食われて、辛うじて生きているのを見ると、ことさら手を入れて何とかしてやりたくなってしまいます。

 イエスはたとえ話の中で、3年も実をつけないいちじくの木を切ってしまえ、と命じた主人に、農夫がとりなした言葉を引用なさり、神は私たちをそのように慈しんでくださる、と言われました。

 ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。(ルカの福音書13章8節)

 神は私たちにそうしてくださっている気がします。私のような失敗だらけの人生にも心をとめて育んでくださるのです。神はあなたにも同じ愛をもって守り助けてくださるに違いありません。

 あなたは愛されています。

レックス・ハンバード祈りの家族 

桜井 剛