祝福のメッセージ:2014ー07

祝福のメッセージ

No.201407 

クリスチャンになった息子と無神論者の父との往復書簡

7.宇宙の全ては神による創造ではなく偶然の産物ではないのか

 息子へ、

 この前は電話をくれてありがとう。孫たちがスポーツ大会に出たのを私も見たかったよ。私がもう少しお金持ちだったら、いつも見に行けるのだがね。まあ、これが人生というものだ。

 ところで、前の手紙にある人類学的議論はあまり納得できない。私が誤解しているのかもしれないが、お前の議論では「もし、万物の創造主である神がおられないとしたら、人生は意味のない惨めなものになってしまう」と書いてあったが、人生はもともと惨めなものだ。確かに、私たちを愛しておられる万物の創造者とやらが本当におられるとしたら、安心であり慰めにはなるが、それは単なる願望にすぎないのではないのか。お前の言うように「人は人格を持っていて物事を深く考えることが出来るのだから、我々を創造した方も、人格を持っておられて、物事を我々以上に深く考える方である。」と言うが、人は単に偶然の産物ではないのか。進化論者たちが言っているように、人間が物事を深く考えることや道徳心や宗教心も人間の生存本能の産物ではないのか。私は進化論についてあまり詳しくは知らないが、一つの説明にはなっていると思う。けれども、私たちよりも大きくて偉大な存在が宇宙の背後にあるのではないかという気もする。確かに、私たちのまわりのものは偶然に出来て来たにしてはあまりにも丁寧で込み入った造りになっている。けれども、全ての被造物が聖書が説明しているような意味を持っているとは考えられない。宇宙はあまりにも大きく、その中で、人はほんのひとかけらにすぎないのに、人にそれほど大きな意味があるとは思えないのだ。

 どうか運動も仕事も元気にやってくれ。お前の手紙はいろいろと考えさせられることが多いので、いつも何回も読み返している。

 愛をこめて、

 父より

 

7.神による被造物ではなく偶然の産物ではないのかに答えて

 親愛なるお父さん。

 宇宙には大きな力を持つ方が背後におられるとしたら、その方は造られた私たちよりも偉大な方のはずです。被造物が創造者より偉大ではあり得ないからです。

 人は人格と意志を持った存在ですから、創造者も人格と意志を持っておられて、人と意志を交わすことが出来、私たちもその方との意志の疎通が出来るはずです。

 けれども、進化論では宇宙創造の意味や動機を説明出来ません。それを考えることは、人間の人格の中に初めから植え込まれていて科学では説明できないのです。

 被造物の存在は単なる偶然では説明出来ません。なぜなら、私たちが見る世界はそれ自体が合理的な秩序を持っていて、その合理性が私たちの持っている合理性と一致しているからです。科学はそれによって発展してきました。アインシュタインはこれを、宇宙の掌握できない合理性(包含できない包含性)と呼んでいます。

 アインシュタインの相対性理論は数学で導き出された理論ですが、実験と観測の結果と完全に一致しました。アインシュタインは実験と観測によってその理論を導き出したのではありません。宇宙にそのような法則があるはずだと主張したのです。宇宙に存在する法則や秩序は初めから人間の中に組み込まれていて、人はこれからもそれを発見し続けることでしょう。偶然の産物として生まれた者が、まだ明らかになっていない宇宙の法則と知恵を洞察できるはずがありません。

 もし私たちの持っている知恵が単なる環境が生み出す結果だとすると、発見する事柄も、それがどんなに複雑であっても現在の環境以上の意味はありません。

 人は環境が生み出した化学反応の結果、偶然出来たのではなく、人格と知恵を持つ方が、同じ合理的な知恵と人格を持つ者として私たちをお造りになったのです。

 お父さんが感じた「宇宙の背後にある力」は合理的な知恵を持った存在なのです。

 道徳心についても同じです。偶然の産物ではありません。生存に必要な知恵でもなく、自然に身に着くものでもありません。けれども、ヒットラーが6百万人ものユダヤ人を虐殺したとき、誰もそれが正しいことだとは思わないのです。私たちの文通の初めのころ話題となっていた、フロリダの少女のバラバラ事件についても同じことが言えます。ひどい仕打ちをされ殺されたことを誰もが悪だと感じるのです。そのような感覚は、生存競争の結果として偶然身に着いたものではありません。それは初めから私たちの心の中に造られていた感覚です。造られた者は造った方より偉大ではあり得ませんから、そのような合理性と感覚を持つ方が、同じ人格を持つ者として私たちを創造なさったのです。決して偶然の産物ではありません。

 人間が持っている知恵や感覚で、人格を持った造り主によらなければあり得ないものが他にも、たくさんあります。自己を思う心、良心、愛、人生の意義を考えたり、永遠を思う心を持つことなどです。「神の存在は人間の願望が生み出した偶然の産物に過ぎない」と主張する進化論者の議論では人格的な性質は説明出来ません。神によって造られた人間は、単に物質的な存在として造られたのではなく、人格を持った造り主の品性を受け継ぐ者として、その性質が初めから組み込まれているのです。人格を与えることがお出来になるのは人格を持っておられる方以外にありません。それは、私たちが造り主との人格的な交流を持つことが出来るためです。

 ですから、創造に関して最も大切なことは、私たちが造り主を知ることが出来る人格を持っていて、造り主との人格的な交わりを持つことが出来ることです。お父さんもいつかきっとこのことを分かってくれると確信してお祈りしています。

 私の大きな愛をこめて、

 息子のグレッグより