異常気象によって大きな災害が続き、多くの方々が物心両面に大きな痛手を受けておられます。被害を受けた方々の報告と一緒に、九死に一生を経験した人々の証言も報道されていますが、それによると、日頃からの備えと、近隣の人々の助けや協力が大きな力になっていたことが分かります。改めて人と人とのつながりの大切さを知らされました。
災害があろうとなかろうと、日頃から隣人と仲良くすることは良いことです。日頃からお互いをよく知っていないと、遠慮や警戒心が先立って、親しい関係を持てず、大切な時に助け合うことが出来ないからです。
けれども、人と人とが親しい関係を持つことの大切さは、ただ、助け合い協力して何か大きなことを成し遂げるためだけではありません。
人は誰でも一人では生きていくことは出来ません。人と人との関係の中で励まされ、支えられ、安心して生きていくことが出来るのです。そこには、人間関係の中から生まれてくる通常にはない何か特別な力が隠されているからに違いありません。
イエスは地上での働きを終え、復活して天に帰られました。その時、弟子たちにこうお命じになりました。「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」(マタイ28章19節)
それは初めからイエスがなさっていたことです。人々を教え、空腹な人々にパンを与え、病人を癒し、虐げられていた人々や孤独な人たちの友となられました。大勢の人々がイエスについて行きました。宣教の働きをイエスほど見事に行なうことは誰にも出来ません。それなのに、なぜイエスは全人類を罪から救う宣教の働きをご自分一人で完成なさらないのでしょう。弟子たちに、そして、後には私たち一人ひとりに委ねておられるのはなぜでしょう。弟子たちにしても、私たちにしても、イエスのように知恵も力もなく、人格的にも欠陥だらけです。それにもかかわらず、むしろそれを承知の上で、「人類の救い」という天地創造にも匹敵する大きな働きを私たちに委ねられたのです。イエスを信じる者たち、すなわち教会が宣教の働きを通して心を一つにして主を迎えるためです。
使徒の働きの中にはその状況が何度となく記録されています。
そして毎日、心を一つにして、(2章46節)
みなは一つ心になって、(5章12節)
この中に、人が人とのかかわりを持つことによって生まれる特別な奥義があるのです。良い人間関係はすばらしと言われていますが、その反面、多くの人々が人間関係に悩んでいます。親子、兄弟、親戚、隣人、同労者、学友などあらゆる人間関係の中に悩みがつきものです。時にはそれが発展して、互に傷付つけ合ったり裁判沙汰になったりしかねません。それでも心の奥底では、誰もが良い関係を求めています。私たちは感動的な人間関係を生み出すことが出来るのです。
ナチスがユダヤ人を迫害していた頃、ユダヤ人のフランク一家が数人の人たちとともに屋根裏部屋に隠れて暮していました。何人もの人が、長い間外に出ることも出来ずに、狭い屋根裏部屋で暮していれば、いろいろな問題が起こらないはずはありません。一人の少女がそれを日記を書いていました。戦後になってそれが発見されて『アンネの日記』という本になり大勢の人々に読まれました。フランク一家はナチスの兵隊に見つかって、全員収容所に連れて行かれ、その日記は途中で突然に終わっています。終わりの頃の一節に、大変印象に残る言葉が書かれていまず。「いろいろなことがあるけれど、結局は人の心は良いものです。」
誰でも互に良い関係を築ける素晴らしい性質を神から受け継いで持っているのです。人が人を思いやることはどんな宝物にもまして素晴らしいものです。それを心配の種や敵対心に変えてはなりません。憎み合い、争うことは神の御心ではないからです。神の本質は愛です。私たちはもともと神の性質に似た者として造られているのです。イエスは言われました。
また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。(マルコ11章25節)
自分の方から先に心を開かなければ、相手に心を開いてもらうことは出来ません。相手に多くを期待すれば、失望も多くなります。けれども、イエスが教えられたように、相手に仕えるつもりで近づくなら、決してがっかりするようなことはありません。期待を裏切られることを恐れないで、主が手本を示されたように、相手を敬い赦し仕える心を持つことを自分の目標にすればいいのです。
日本で車を運転していると、しばしば、信号のない狭い交差点で車どうしが出合い、どちらが先に行くべきか迷うことがあります。どちらも先に行きたいのです。我先に割り込んででも先に行く人を見るのはあまり良い気持ちがしません。その反対に、互に譲り合う姿はとても気持のいいものです。相手が感謝の気持ちを込めて会釈をしてくれると、こちらも嬉しくなって、手を振って挨拶を返したくなります。その間、一分もかかりませんが、その時の良い気分は長い間続きます。
神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。(ヨハネの第一の手紙4章20節)
互に相手の気持になって譲り合い、心を通わせることによって良い人間関係は育ちます。それは、地上において互いに支え合い、必要な時には助け合うことが出きるというだけではありません。それも素晴らしいことですが、もっと素晴らしいことが待っているのです。
あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。(ローマ12章18節)
私たちが神を中心にして心を一つにするところには平和が生み出されます。人と人との間に本来あるべき人格的交わりは、神の御心であり、私たちがこの世でしっかり学んで身に着けるべき宿題の一つです。永遠への備えのために大切な訓練なのです。やがて、私たちが永遠の世において神とともに住むときには、神と人、人と人との人格的で深い霊的な交わりはいつまでも続くからです。そこで、主は言われました。
平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。(マタイ5章9節)
私たちが名実ともに神の子どもとなるためです。
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード祈りの家族
桜井 剛