今までに何度も申し上げましたが、私たち人間には多くの素晴らしい能力が与えられています。
スポーツの分野でも、学問の分野でも、また、芸術においてもたくさんの素晴らしい業績を残し、また、これからもその記録は積み重ねられていくことでしょう。それは、誰の目にもとまるような優れた能力を与えられた一部の人々だけに限られたことではありません。あなたにも私にも等しくその素晴らしい能力が与えられているのです。大切なことはそれをどう用いているかです。
華々しいスポーツの記録や、目覚ましい科学の進歩とその応用や、人々の心を打つ芸術の数々は、誰の目にも明らかなので説明の必要もありませんが、私たちがしばしば見落している事柄の中にも神から与えられた素晴らしい能力があり、あなたの中でその能力は生きて働いているのです。
ところが、何か大きな失敗をしたり、不幸なことに直面したりすると、それを繰り返し思い出して悔やんだり悲しんだりします。思い出しては何時間も苦しみ、時には何年も無駄な苦しみを積み重ねる人もあります。私たちには失敗を反省の材料にして乗り越え、大きな進歩に役立てる力が与えられています。もし、失敗しなかったら大きな進歩もなかったということがたくさんあります。けれども、自分を責めたり、境遇を恨んだりして、ますます自分を不幸にすることに自分の力を使う人があるとしたら、とても残念です。失敗や困難を全て自分の力で解決できるとは限りません。むしろ解決できないことの方が多いのです。神はそれを知っておられますから自分で悩んだり苦しんだりする必要はないのです。お任せする以上は心配することをやめなければ、お任せした方に対して失礼です。自分には出来ないことを認める判断力、神の手にお任せして、心配したり悩んだりするのをやめる信仰の力。幼子のように謙虚になって神に頼る能力を発揮してください。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11章28節)
主は決してあなたをとがめたりしかったりはなさいません。
「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」(マタイ11章29節)
主の教えに学ぶのは決して難しくはありません。主が重荷のほとんどを負ってくださるからです。
「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11章30節)
ですから、与えられた能力を、自分を苦しめることに用いないで、自分自身を高めることに用いてください。私たちが与えられている能力を正しく用いて、どんな境遇の中でも幸いな人生を生きることが神の願いであり喜びだからです。
最近、私の友人知人の中に3人の方が癌を患っていることが分かりました。その中の一人はお見舞いに行ってもいつものように明るく楽しそうにしていて、会う人を元気にしていました。余命いくばくもないことを承知の上で毎週教会に来ている方もいます。彼らは自分には何もできないと思っているようですが、見る人、会う人に大きな勇気と安心感を与えていることがよく分かります。
神は私たち一人ひとりを愛し、目をとめて守っていてくださいますが、自分が困難に直面したときも慌てたり心配したりする必要はないのだという平安は、実際に友人知人の姿を見て分かります。私は彼らの姿を見て「この方たちは誰にも出来ないような素晴らしいことをやっているのだなあ」と思いました。そのような力を与えておられる神をほめたたえます。
私は祈りの家族の皆さんからの祈りのリクエストを注意深く読み、書かれている内容をしっかりと受け止めて祈るようにしていますが、それによってはっきりと見えてくることがあります。それは、神はどんな時にも、困難と共に、その困難に立ち向かう力を一人ひとりに与えてくださっているということです。
神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。(コリント人への第一の手紙10章13節)
今年は3人の日本人がノーベル物理学賞を受賞しました。彼らの知恵と能力はすばらしく、その研究の結果として造られた発光ダイオード(LED)は、人類に大きく貢献しています。
かつてエジソンが、誰でも使える電球を発明して世に出した時、世界中の人が驚き、喜びました。それから135年がたちましたが、今では新しいLEDによってもっと少ない電力で効果的に光が得られるようになりました。
私たちの発揮する能力は人に認められても認められなくても、一時的に世界を変えても、変えなくても、神の目には大きな違いはなく、全てが大切で尊いのです。
私は43年前にアメリカでとても大きな困難に直面したことがありました。その時、親切な言葉をかけてくれた方を忘れません。その言葉によって今の私があると言っても過言ではありません。
私たちの目には小さなことのように見えても、神の目には大きなことはたくさんあります。あなたの隣にいる人々に心を込めてかけてあげる一言は、どんなにすばらしい発明や発見にもまして、その人の魂を照らす光となることでしょう。
与えられた能力をそのように用いることを、神は一番喜んでくださるに違いありません。
神は私たちに対して際限なく恵みを注いでくださいます。ですから、求めることは決して悪いことではありません。けれども、私たちの人生が求めるだけで終わってはいけないのです。求めるだけだと、たとえ与えられても、次にまた求める必要に迫られて、ただ求め続けるだけの人になってしまいます。求めたら、与えられた恵みを周りの人にも与える人になることを目指してください。
どんなに小さなことでも、あなたの力によって人を励まし、親切なことばをかけ、助けの手を差し伸べるとき、あなたはただ受けるだけの人ではなくなります。あなたは与えられた能力を活用する人になるのです。神がそれを軽んじられることは決してありません。むしろ、ますます多くの力を与えて祝福してくださることでしょう。
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード祈りの家族
桜井 剛