祝福のメッセージ:2014ー11

祝福のメッセージ

Part II-Correspondence15
No.201411 

クリスチャンになった息子と無神論者の父との往復書簡

11.福音書はいつ誰によって書かかれたのか、なぜ確かなことがわかるのか

 息子へ、

 子どもたちも皆元気でやっているようだね。ウルトラマラソンの予定が決まったら知らせてくれ。100キロメートルも走るなど、とんでもないことだ。体にいいはずがない。私にはとても考えられない地獄のレースだ。どうか気をつけてくれ。

 早速だが、議論に入ろう。これまでのことは私の理解を超えたことばかりだが、考えさせられることもあった。特に、聖書を歴史的な観点から見ることは私には意外だった。それに、福音書の中にはいろいろ違った観点からの記録があるということも初めて知った。私はお前たち福音主義のクリスチャンは『聖書は天から降りて来た神の言葉だ』と信じているとばかり思っていた。そうじゃなかったのか。だから大変興味深く読んだよ。ところが、私には別の疑問が起こった。それは、福音書がいつ誰によって書かれたのかをどうしてはっきりと断言出来るのかという疑問だ。

 後の時代のクリスチャンたちが、その時代のもののように見せかけて書いた作り話ではないのか。そういう疑問に対してお前はどう答えるのだ。きっとお前ならそれに対する答えを持っていると思う。

たくさんの愛をこめて、返事を楽しみにしつつ、

 父より

11.福音書はいつ、誰によって書かれたのか ― に答えて

 親愛なるお父さん。

 早速ですが、議論に入りましょう。その前に、聖書は歴史的な観点から見ても真実であるという点についてですが、確かに私はそのような見方をしています。けれども、同時にまた、聖書が神の霊感を受けて書かれたものであり、誤りのないものであることも信じています。

 聖書は他の書物と同じように、人の手によって書かれたものです。けれども神の霊感を受けて書かれたと言えるのは、聖書が書かれていく歴史的な段階において、その背後で神が導いておられたからです。当時の歴史的な背景も、当時使われていた言葉も、それにかかわった人々も神のご計画の中にあったのです。

 けれども、聖書が神の霊感を受けて書かれたものであることは、キリスト教信仰の一番大切なことではありません。一番大切なことは、『イエス・キリストは神が人となってこの世に来られたお方で、私たちを救うために命をささげてくださった』と信じて受け入れることです。クリスチャン信仰は、私たちとキリストとの関係であって、聖書が神の霊感を受けて書かれたと信じることではありません。私の場合、イエス・キリストを救い主と信じた結果として、福音書が神の霊感を受けて書かれたものであることが分かったのです。たとえ福音書がいつ誰によって書かれたのかがはっきりと示されても、聖書が伝えている『神が救い主となられ、私たちの罪を贖うために十字架でご自分のいのちを投げ出してくださり、約束された永遠のいのちが確かであることを保証するために、復活なさったこと』を信じない限り、その人にとって福音書の記述の真実さを証明することにはあまり意味がありません。

 いずれにしても、福音書の記述が真実であることは明らかです。

 先ず、書かれた時代ですが、それは西暦60年頃です。なぜなら、それはルカがイエスが語られたことばを順序立てて記述しているからです。ところがイエスが預言したエルサレムの崩壊については、その成就の記録がないのです。

 宮がすばらしい石や奉納物で飾ってあると話していた人々があった。するとイエスはこう言われた。「あなたがたの見ているこれらの物について言えば、石がくずされずに積まれたまま残ることのない日がやって来ます。」(ルカ21章5節と6節)

 ユダヤ人とローマ人との戦いで頑固に抵抗したユダヤ人に対してローマ人は怒りに任せてエルサレムの神殿を見る影もないまでに破壊し尽くしました。イエスが預言なさった通りです。それは70年に起こった歴史的な事実です。ところが、エルサレムの崩壊についてのイエスの預言を記録したルカがその成就の事実を記録しなかったことは、ルカの記録がそれ以前に書き終えられたことの証拠となっています。

 ルカは福音書を書いた後すぐに使徒の働き(使徒行伝)を書きました。ところが、ルカは使徒の働きの中に、ステパノの殉教や初期の迫害については書いていますが、大勢の殉教者を出したネロの大々的迫害については触れていません。後世に書いたのなら必ず記録するはずの、パウロとペテロの殉教(64年と65年)についても全く記録していないのです。

 ルカの福音書はマタイとマルコの福音書と同時代の記録です。なぜなら、その言葉使いが同時代のものであり、内容と記述の順序にも共通点が多いからです。したがって、マタイ、マルコ、ルカの福音書は60年頃に書かれたと考えられます。

 これらの記録は後世のものではなく、実際の出来事から数十年しか隔たりがありません。それが故意に作り出されたのなら、大勢の目撃者たちがまだ健在であったその時代に指摘され、批判され、訂正された筈です。しかも、それらの福音書が伝えているイエス・キリストは人々の前に実際に現われた救い主であり、永遠のいのちの約束を伝えているのです。もし、それが作り話だとしたら、大勢の人々がその教えに命をかけて殉教したことの説明が出来ません。現在論じられているほとんどの批判はそれから何百年も後のものばかりで、間違いだとする指摘も、極めて確かさのない議論が多いのです。福音書の真実性を疑うなら、批判者たちはこれらの証拠に対してもっとはっきりとした事実を示すべきです。それが示されない以上は、記録された事実をそのままを受け入れるべきです。

 もっと大切なことは、その記録がただ単に歴史的な事実を残しているということだけでなく、その内容である、『神が人類を愛し、罪によって滅びに向かっている人々に永遠のいのちを与えようとしておられること』を信じて受け入れることです。

 惜しみない愛を込めて、お父さんのためにお祈りしています。

 グレッグより