祝福のメッセージ:2014ー12

祝福のメッセージ

Part II-Correspondence16
No.201412 

クリスチャンになった息子と無神論者の父との往復書簡

12.死んだ人間が生き返るなどとどうして信じられるのか

 息子へ、

 イエス・キリストと聖書についてのお前の議論は、神について論じた時と同様に私には意外なものだった。お前が聖書を神のことばと信じたのがイエス・キリストを信じてからだったというのは、私の想像とは逆だったが、多少納得はできる。

 それに、聖書の霊感についても今まで私が聞いたこととは全く違う。ベテル教会の人は皆そう考えているのかい? それとも、お前だけが、保守派の中でも進歩的なのかい? いずれにしても、福音書が出来事の最初の記録であり、信頼できるものだという説明も分かったが、この記録の内容全てが信頼できる事実だということは説明していない。特に、ヨハネの福音書の内容全てが信頼できる事実なのだろうか。そこで、以前にも尋ねたことがあることをもう一度きくが、福音書が書かれる段階で作り話が入り込んで、それが伝えられてきた可能性が全くないと言えるのだろうか。特に有名になった人物に対しては事実以上のことが付け加えられる傾向がある。他の宗教的な指導者の中にも、とんでもない作り話が付け加えられている事実があるではないか。死んだ人が復活して生き返るなどということが本当にあったとはとても信じられない。当然のことながら、弟子たちの勘違いか幻覚だったとか誰かがキリストの体を盗んで行ったと考えるのが自然ではないのか。そういう可能性を本に書いた人がいたことを覚えている。正直に言って、私自身もどう考えて良いのか分からないし、素直に信じるわけにはいかない。お前の最後の手紙の中に、「イエス・キリストをどう思うか」と尋ねていたが、どう答えたらいいのだろう。いずれにしても、彼は死んでしまってもういないのだ。

 お前との文通はもう1年も続いているのに、お前の熱心で理知的な回答には感心はするが、私の考えは以前とは少しも変っていないと思う。ただ、神に対する私の考え方は少し深まったとは思うが、それだけのことだ。

 愛をこめて、

 父より

 

12.死んだ人が生き返るなどとどうして信じられるのか ― の答え、その1

 

 親愛なるお父さん。

 私は今日の午後の時間を全てこのことのために用いることにしましたので、早速本題に入ります。と言うのは、復活の事実はお父さんにとって最も衝撃的なことであり、私が信じていることの中でも最も重大な出来事だからです。

 その前にお父さんが心配しているように、お父さんの疑い深さに飽き飽きしているというようなことは決してありません。むしろ、疑問に対するお父さんの譲らない真剣さを尊敬しています。それと同時に、信仰に関して最も重要なことを分かりやすく(出来る限りですが)お話しすることは私にも良い訓練になります。今までお父さんとこのようにお話ししたことはなかったからです。

 もう一つ知っておいてほしいことは、お父さんはすでに神に特別に目をとめられていることです。神は永遠をかけてお父さんを愛しておられ、どんな疑いや反目を持っていても、それを変えて、ご自分の方に向けさせることがお出来になります。

 私に出来ることは、妨げになっている邪魔物を出来るだけ論理的に取り除くことだけです。それによって、お父さんが真っ直ぐに神と対面しやすくなるためです。私はお父さんを愛していますから、いつか必ずお父さんの心が変えられて神に向けられことを信じています。今はまだ、何のきざしも見えませんが、祈るごとにその確信が強くなっています。神はお父さんの心を少しずつ砕いておられるに違いありません。ですから、どうか心配しないでどんな疑問でも投げかけてください。

 それでは本題の復活についての説明に入りましょう。

 お父さんは「復活は信じるか信じないかのどちらかを選ぶしかない課題である」と言われましたが、そうではありません。もちろん、復活を信じることは歴史上の出来事を神学的に裏付ける以上に大切なことです。だからと言って、歴史上の出来事であることをないがしろにしてはなりません。他の、歴史上の出来事と同じように事実として確認しておくべきです。聖書は復活が信じるに足るものであることの証拠を示しているだけではなく、個人個人がそれをどのように心に受け止めるかをご覧になるための神の問いかけでもあるのです。それが真実であることを理解する時、理性と霊とが調和して働くからです。霊的な部分は私の仕事ではなく神が働かれる領域です。わたしの仕事は理性的に証明することです。ですから私は復活が歴史的な事実であることを論理的に説明しているのです。

 確かに福音書の中には普通の出来事としては信じられないような内容が含まれていますが、全体的には歴史的な事実の記録であることは信じるに値するものです。もし誰かが「福音書には作り話が含まれているのではないか」と言うのなら、その人がそれを証明すべきです。私としては、福音書は全体として歴史的な事実であると信じるに足る証拠を持っているからです。私は特にこの点について多くの資料を集め研究した者の一人です。「福音書の中にはあまりにも多くの超自然的な出来事が書かれている」と言う人が多いことは、まさに、イエスがそのような生涯を歩まれたことを証明しているのであって、それが歴史的な事実ではないことの証明にはなりません。私たちのまわりの自然現象の中にも、初めは超自然的な出来事だと思われていたことがたくさんあります。けれどもそれが分かって来ると、誰もがそれを真実として受け入れるようになるのです。まして、あらゆる不思議な出来事を全て支配しておられる創造主であられる神がそれをなさるのなら、どんなことでも起こり得ることです。私たちに理解出来ないからと言ってもそれが事実でないことの証拠にはなりません。

 復活だけではなく他にも福音書の中には作り話が含まれているという議論がありますが、それを否定する反論をこの手紙の後半に書きますので読み続けてください。

 たくさんの愛をこめて、

 グレッグより