祈りの家族への手紙:2015-01


 親愛なる祈りの家族の皆様。

 2015年になって、もうすでに何か素晴らしいことが起こり始めていますか。この一年間も、あなたとあなたのご家族の上に毎日何か素晴らしいことが見つかるようにと心から願っています。

 その願いを込めて、今年もあなたのために2015年の聖句を選びました。

 2015年のあなたの聖句は、箴言3章5節6節です。

 心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。

 あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。

 そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

 この聖句によって、この一年を通して神があなたに語りかけてくださり、2015年があなたとあなたのご家族にとって恵み豊かな年となりますよう願っています。

 もし、あなたが、この聖句とは別に、すでに今年一年間の聖句を決めておられたり、与えられていた場合は、それを2015年のあなたの聖句となさっても良いと思います。どうかそれを私にもお知らせください。あなたへのお便りの時にはその聖句をご一緒に思い起こしたいと思います。

 イエスは言われました。

「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」(マタイの福音書24章35節)

 阪神淡路大震災から20年が過ぎました。多くの人がその惨事を忘れかけています。あれほど日本中を震撼とさせた大地震と津波の惨事の記憶さえもだんだん遠のいていきます。忘れてはいけないことですが、それを知らない新しい世代も加わり人々の記憶から遠のいていくのです。私たちは自分の命にかかわる大切なことさえ時間がたつと忘れてしまいます。

 それは毎日の生活においても同じです。忙しさに追われて大切なことをないがしろにしがちです。ですから、人生にとって何が大切かをいつも思い起こさせてもらう必要があります。大切なことを思いおこさせ、どんな時にも支えとなる確かなものとは何でしょう。それは、心に貯えられた神のことばです。神のことばは永遠に残り、誰にも奪われず、どこへでも持っていける永遠の食物です。

 神のことばは単に情報を伝達するだけではありません。神のご意志が表わされています。生きる力であり、いのちであり、神の一部分なのです。「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」(ヨハネの福音書1章14節)とあるように、神のことばの中には神ご自身がおられるのです。

 聖書は神のことばであると言われますが、神のことばがどのようにして聖書となったのでしょう。聖書は歴史上のいろいろな出来事を通して永い時代を経て、具体的なことばとして表わされ、書物として書き残され、伝えられてきました。それらの出来事の一つ一つの中に神のご計画があります。私たちに正しい生き方を教え、私たちの人生を最高のものにするためです。神のご意志が人間のことばによって表現されて伝えられているのが聖書です。あなたや私がそれを受け取るためです。

 聖書のことばは全て神の霊感によって与えられたものです。そのことばは、時代も立場も性格も違う大勢の神に忠実に従っていた人々によって書き記されて書物となりました。神のことばとして伝えられた書物は不思議な方法で守られて、現在のような聖書となって私たちに届きました。今の時代に住むあなたや私にも語りかけるのが神のみこころなのです。

 永い時代を経過して、多くの人々の手によって書き記されてきましたが、その内容は、旧約聖書も新約聖書もはっきりとした目的で貫かれています。それは信じる全ての人を救うことです。

 聖書は今も群を抜いて世界のベストセラーです。毎年何億冊も出版され、多くの人々に読まれ、読む人の人生を変えています。それでも、聖書が不足している地域がまだたくさんあって、多くの人々が聖書を求めています。中国からも、アフリカの国々からも、聖書を求める声や手紙が来ます。私もそのような手紙をしばしば受け取りました。彼らは聖書を読む人の人生が変わっていくのを目の当りに見ているからです。

 聖書は神のことばであるとは言っても、人間のことばが使われているので、そのことばの表面にとらわれないで、ことばを通して伝わって来る神のメッセージを受け取ることが大切です。聖書のことばを通して神の語りかけを聞き、神の臨在を感じなければ、聖書も単なる良い書物の一冊です。

 忘れやすい私たちが神とのつながりを持ち続けるためには、常に聖書に親しみ、そのことばの中にある深い意味を注意深く味わう習慣を身につけることが大切です。聖書のことばを通して伝わってくる神の語りかけを聞き取るためです。神のことばをあなたの額に付けておくのです。

 あなたがたは、私のこのことばを心とたましいに刻みつけ、それをしるしとして手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。(申命記11章18節)

 実際、あるユダヤ人の少年たちは、聖書の律法のことばを書いた紙切れを小さな箱の中に入れて、それをいつも額に縛り付けて聖書の教えを守っているそうです。けれども、聖書が教えているのはそのような形式的なことではありません。神のことばをいつもあなたの念頭におくことなのです。

 私は2015年の聖句を通して、あなたが神の語りかけを受け取ってくださるよう心から願っています。そうすれば、神とあなたとの距離はますます近くなり、あなたの祈りがいつも御心に沿ったものとなることでしょう。イエスは言われました。

 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。(ヨハネの福音書15章7節)

 ですから、あなたが祈るときには、聖書のことばをあなたの身近におくよう心がけてください。聖書を読んでから祈るか、祈った後で聖書を読むのです。祈りは神に対する一方的な注文ではありません。神からの語りかけに耳をかたむけ、神の御心を求め、祈りの答えを受け取ることです。

 神は聖書のことばを通してあなたに語りかけておられます。神のことばがいつもあなたとともにあるなら、祈りの答えがあなたの期待していたものとは違っていても失望することはありません。また、どのような祈りが答えられる祈りなのかも分かってきます。神は愛ですから、どんな時にもあなたにとっての最善を行なってくださいます。

 あなたは愛されています。

レックス・ハンバード祈りの家族

桜井 剛