No.201506
クリスチャンになった息子と無神論者の父との往復書簡
なぜ、聖書は神の霊感を受けて書かれたものだと信じられるのか ― に答えて(続き)
親愛なるお父さん。
お父さんが気にかけているように、蛇が人間に話しかけたことも、クジラが預言者を生きたまま飲み込んだことも、(聖書には大魚と書いてあります)海が二つに分かれたところをイスラエル民族がわたったことも、サムソンの髪の毛がもと通りに長くなったら超人的な力が回復した出来事も、確かに皆聖書に書かれています。けれども、聖書にはもっとたくさんの大切なことも書かれているのです。
聖書は長い年月をかけて、大勢の人々の手によって、数多くの民族と文化を背景にして形成されたにもかかわらず、一貫したテーマが保たれています。そこには他の書物にはない特別な説得力を感じます。
イエスご自身も、福音書の中で聖書(当時は旧約聖書だけでした)を神のことばとして引用しておられます。全ての人の救い主として神から遣わされたイエスご自身が聖書を神のことばとしておられるのですから、イエスを神の子と信じている私たちがそれに疑いをさしはさむ余地はありません。けれども、聖書が神の手によるものであることを裏付けていることはそれだけではありません。
人類を罪から救うという一貫した聖書のテーマは、預言とその成就という、神が関与したのでなければあり得ないことによって裏付けられているからです。しかも、それらの記事は聖書が神の霊感を受けて書かれたのでなければとうていありえないことばかりです。
その事実を、お父さんと一緒に聖書を開きながら見ていきたいと思います。
まず、旧約聖書の中で預言されている「救い主の誕生の事実と誕生の場所が」その通りに起こっていることが新約聖書の中に書かれています。
さらに、救い主の苦しみと死についてはイザヤ書53章に、十字架刑がまだ一般的ではなかった頃から、イエスが十字架にかけられることが予言されています。また、イエスが一般の罪人と共に処刑されることもイザヤ書53章9節と12節に預言されています。
このイエスが神であることは、イザヤ書9章6節、エレミヤ書23章6節、ミカ書5章2節などに書かれています。
また、救い主誕生の系図である、アブラハム、イサク、ヤコブ、そしてダビデ王までのことが創世記12章3節、21章12節、サムエル記下7章13節に書かれています。また、救い主の出現の前ぶれとして遣わされる者が現われることも、イザヤ書40章3節、マラキ書3章1節に書かれています。イエスが公に姿を現わされた時には、実際に先駆者バプテスマのヨハネが現われて「見よ、世の罪をとり除く神の子羊。」と言って、イエスを人々に指し示しています。
こうした預言の記述とその成就は、神が関与なさったという以外に、どのように説明出来るのでしょう。これらの事実は、可能性があるということではとうていかたづけることができない、歴然とした証拠です。
預言とその成就については、他にもたくさんの記録をあげることができますが、その中で特に私の心に強く印象付けられた記録をあげてみます。
ツロという町は、紀元前580年頃外国との交易によって栄えた港町だったことがエゼキエル書に書かれています。
預言者エゼキエルはこの町について、たくさんのことを預言していますが、一つの見逃すことの出来ない記事があります。この町は大いに栄えて、エルサレムの町をあざ笑うかのようにおごり高ぶっていました。その時エゼキエルは、当時のバビロンの王ネブカデネザルがこの町を滅ぼすと預言しました。そこにある全てのものは、やがて海の中に投げ込まれ、ツロは誰も住みつかない漁師の町になるというのです。(エゼキエル26章8、14節)
はたしてツロは13年間の戦いの末ネブカデネザルに占領されました。ところが町そのものは残って、繫栄を続けていました。エゼキエルの預言は成就しなかったのでしょうか。
豊かに繫栄している町が誰も住まないところになるということは常識ではとても考えられません。しかも、町が城壁や建物を含めて全て海の中に投げ込まれるなどということは想像することもできません。当時、その町はこの地域の中心的な大都会だったのです。
ところが、それから数百年後にこの預言は細部にいたるまでその通りに成就しました。
アレキサンダー大王がこの町を取り囲み、降伏を促しましたが、住民はそこから少し離れた島に逃げ込み頑固に抵抗しました。その島は強固な要塞になっていて、船で攻撃することはできず、住民たちの抵抗が続きました。そこでアレキサンダー大王は全軍を総動員して、住民が逃げ去って廃墟となった町を城壁や建物を含めすべてをこわして海に投げ込み島との間を陸でつないでしまいました。そのためにツロの町は何もない平らな地になってしまいました。かつては繫栄の都市であったツロは漁師たちが網で魚をとる漁村となってしまったのです。
これと同じような預言とその成就は他にもたくさんありますが、お父さん、私はこの預言の記事とその成就のしかたがとても印象的で気に入っています。
人類の歴史の中の出来事で、神が関与なさらない出来事は何もないことを、改めて考えさせられます。
何世紀にもわたり、言葉も文化も習慣も異なる大勢の人々の手によって、歴史、律法、詩歌、預言、知恵と教訓などの様々な領域に及んでいながら、人類の救いという一つのテーマによって貫かれている書物が他にあるでしょうか。
その中にいくつかの説明出来ない記事があったとしても、それは私たちの知恵が及ばないだけであって、神が聖書を通して私たちに語りかけておられることには何の影響もないと私は思います。
お父さんが問題視しておられることも、他の歴史上の出来事や考古学上の発見と同じように、やがてきっと明らかになって来ると思います。
それよりもむしろ、今から、聖書が伝えているテーマを学びその真理を自分のものになさる方がどんなに有意義で素晴らしいことでしょう。
心からの愛と期待をこめて、
グレッグより