No.201509
クリスチャンになった息子と無神論者の父との往復書簡
なぜ聖書だけが真実を教える経典だと言えるのか
親愛なるグレッグへ、
お前が最後の手紙で書いていた「教会は罪びとたちの集まりである。」という言葉は教会についての私の考えを変えてくれたよ。とても役に立った。今までクリスチャンたちはみな自分を聖人のように見せかけているものと思っていた。誰が見ても聖人とは言えないのはわかりきっていた。もし、教会が今からでも、「ここは罪びとの集まりですよ。」と宣伝し始めたら、きっとすぐにいっぱいになることだろう。前回の手紙は私が長年抱いていた誤解を解いてくれた。
しかし、聖書が教えていることに対する教会間の違いは、洗礼のやり方だけではないだろう。よく訪問してくるエホバの証人も聖書を使っているのに、彼らはイエス・キリストは神ではないと言っているではないか。聖書を用いているのにキリスト教とは違うことを教えている団体が他にもあることを知っている。
この疑問はさらに大きな疑問に発展してくる。なぜなら、世界中のどの宗教もそれぞれ自分たちの経典をもって、それが唯一の教えだと信じているからだ。それでは、なぜ聖書だけが正しい真理を教えていると断言できるのか教えてほしい。
これは大きな課題のような気がするので今回はこれだけにしておこう。
子どもたちによろしく伝えてくれ。
息子へ愛をこめて、
父より
なぜ聖書だけが真実を教える経典だと言えるのか - に答えて
愛するお父さん、
お父さんが言う聖書解釈の違いを強調して正統的な教会とは違う教えを広めているグループは異端と呼ばれています。キリスト教会は紀元後5世紀頃まではこうした異端が起こり、大きな議論に発展したことがありましたが、その後は大勢の聖書学者たちによる綿密な研究が積み重ねられた結果、聖書の本質的な教理が確立したため、それとは違う解釈がされたとしても、ほとんどがその領域にまで及ぶ議論に発展することはありませんでした。
けれども、聖書の一部分を特殊な解釈をすることによって自分たちの教理を立てて人々を引きつけているグループが今もないわけではありません。そのようなグループは異端と呼ばれて、正統的な聖書学者たちによる本質的な教理の論題にのぼることはありません。ただ、その特殊な解釈や珍しさが人々を引きつけるため、そのグループが大きく発展するという例はあります。しかし、聖書をしっかりと読んでいる人にはその教えは明白です。ですから、それらの教理が神学的な議論になることはなく、異端の領域を出ることはありません。
他の宗教が持っている経典についてどのように考えるべきかは別の課題です。
世界中には聖書の他に仏教、イスラム教、ヒンズー教などが形の整った経典を持っていることが知られています。けれども、それらはどれが正しくどれが間違っていると言えるものではありません。それぞれが違った内容を持っており、違った教えをしているからです。
文化的な背景の中で生まれ、その文化的な背景を持った人々の間に育ってきたのです。
けれども、聖書は世界中の様々な文化とそこに住む多くの違った民族によって試されてきました。そのために、誰にも受け入れられる普遍的な教えとして浸透してきたのです。
聖書は他のある経典のように、律法にもとづいた生き方を厳しく教えるためのものではありません。また、深い哲学的な思想を中心としているために、一般の人々には多くの異なった解釈を必要とするというようなものとも違っています。誰もが直接学んで実生活に生かせるものです。また、歴史的な事実に基づいているため、宗教的な領域で用いられるだけでなく、個人個人が自由に直接学び、教えを受けることができます。
私個人としては、聖書は誰もが個人的に学び、直接神との対話をすることが出きるようになる、全人類のための特別な書物であると思っています。
他の宗教の経典を批判する必要はありませんが、聖書の教えをしっかりと学んでいる者にとっては、改めて他の経典を学ぶことを必要とはしません。
旧約聖書の律法を守ることに行き詰った人々に、自発的に心から神に仕えることの大切さを新約聖書から教えられた人が、再びもう一つの律法を学んで、それに束縛された生き方をする必要があるでしょうか。
歴史的な事実に基づいた永遠から永遠に至る世界観を知った者にとって、それとは違うもう一つの宗教哲学の中にのめりこむ必要があるでしょうか。むしろ、まだまだ学びきれていない深淵な聖書の真理をもっと深く学び続けることの方がはるかに有益であり、現実的です。
他の宗教の経典を単純に批判することは慎まなければなりませんが、聖書のように具体的に歴史的な事実に結びついた教えは他には見られません。特に、聖書がイエス・キリストの誕生、十字架による死と復活について記述していることは現実に起こった歴史上の出来事と結びついていて、他のどの経典にも見られないものです。さらに、数々の預言とその成就が歴史的な事実と具体的に結びついていることは、まさに奇跡であって、聖書が特別な神の書であることを証明しています。聖書はあらゆる方面から吟味されても揺るぎのない、他には例のないユニークな書であると言えます。それゆえ、今も群を抜いて世界のベストセラーの座を維持し続けているのです。
けれども、私が心から願っていることはただ一つ、お父さんが聖書に書かれている中心課題である、神から遣わされた救い主イエス・キリストを信じて受け入れることです。そのためなら、これからもどのような質問でも喜んでお答えしたいと思います。
やがてお父さんの質問のバケツが底をついて、そこにイエス・キリストが笑顔で、「神の子どもたちの仲間にようこそ」と言われるのを聞くことになるでしょう。その日のためなら、私も一生懸命に頑張ります。
心からの愛をこめて、
グレッグより
注意:このシリーズはグレゴリー・ボイド博士の著書を要約して分かりやすく説明したものです。従って、この内容を許可なく他の印刷物に転用することは著作権法に抵触することになりますので、決して転用なさらないようお願いします。