祈りの家族への手紙:2015-10

 
 親愛なる祈りの家族の皆様。

 あなたは道に迷って苦労したことがありますか。私はあります。そのためにもう少しで遭難するところでした。ちょっと判断を間違えたために大きな問題や困難に発展することがあります。

 私たちは自分の行ないを全て自分で判断して行動します。ですから、自分が行ったことに対しては自分が責任を持たなければなりません。けれども、私たちはいつでも正しい判断をくだしているとは限りません。むしろ間違った判断をくだしてしまう時の方が多いように感じます。しかも、それに気付くのは後になってからです。「あの時こうすればよかった。」「こうしなければよかった。」と思うことがしばしばです。

 過ぎてしまったことを悔やんでも仕方がありません。後悔することのないようにいつでも適切な判断をすることは出来ないものでしょうか。

 日本のロボット研究は大変優れていると言われています。いちいち命令されなくても自分で状況を判断して行動することができるロボットが現われて、介護などに役に立つようになったそうです。ロボットは仕事の目的をあらかじめ人間によってきめられています。自分で判断するとはいっても、目的から外れて勝手なことはできません。ですから間違えもないのです。

 自動運転ができる乗用車が実用化しているそうですが、今のところ特別な車種が高速道路を走る場合に限られています。間もなく、自動操縦の車がどこでも自由に走るようになることでしょう。

 自分で判断するとはいっても、ロボットやコンピューターは人間が決めた通りの判断をするように作られています。人間と同じように、自分勝手な運転をしないようになっています。そうでなければ、高速道路の運転を任せることはできません。

 では、私たちの場合はどうでしょう。どうすれば後悔をしない正しい判断で行動することが出きるのでしょう。

 それは、先ず心を静めて祈ることです。私たちをお造りになった方に尋ねるのです。私たちをお造りになった方は私たちのことを一番よく知っておられ、私たちの今の状況を完全に知っておられるからです。私たちが判断に迷ったら、今、私がどう行動することを願っておられるのかを神にたずねるのです。そのあとで自分の行動を起こしても決して遅くはありません。

 心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。(箴言3章5節)

 何もかも自分の判断だけで早まった行動するのではなく、先ず祈って、主の御心を求める習慣をつければ、失敗を繰り返すことがなくなることでしょう。あなたが祈るとき、主は必ず思いがけないほどの素晴らしい知恵を与えてくださいます。そのような習慣は、あなたの人生をどんなにか安全で自信に満ちたものにしてくれることでしょう。

 主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。(イザヤ書40章31節)

 「主を待ち望む」とは、主があなたのために準備しておられる最も適切な時を待って、それに合わせて行動することです。どんなときにもまず、祈って神の知恵を求めましょう。日頃から学んでいる聖書のことばを思い起こして、それに合わせた行ないをするのです。そうすれば、神のことばによって味付けられた決断をすることができます。みことばはあなたの道案内となってあなたを導いてくれるので、感情に駆られて早まった行動をすることがなくなり、失敗も少なくなるために、あなたは主にあって自信と勇気を持つことができるようになります。

 けれども、間違えてはいけません。神は私たちをロボットにすることを願ってはおられません。私たちには完全な自由意志が与えられています。あなたが何をするのも自由です。その結果も自分で受け取ることになります。そこに、自由意志を与えられたことの大切な意味があるのです。

 自由は両刃の剣です。私たちを解放して、限りない可能性を与えてくれる一方で、私たちが神をはなれて自分の欲望のままに行動して道に迷い、金銭や快楽の奴隷になることもあるからです。

 子どもたちは幼いころは完全に親に頼らなくては生きていけません。成長すると自分の意志で行動するようになり、しばしば親の意見と衝突して反抗するようになります。親にとっては頭の痛い時期ですが、喜ぶべきです。まだ未熟ではあっても、自分の意志で行動する力が成長して来たからです。その自立心を良い方向に伸ばして、正しく成長してほしいと願います。上から目線ではなく話し合える関係を保ちましょう。神はもっと賢く、あなたを見守っておられるに違いありません。

 キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。(ガラテヤ5章1節)

 神はあなたを愛し、いつもあなたのことを心にかけておられます。あなたが与えられた自由意志によって間違った選択をして苦しむことのないことを願ってはおられます。自由意志を与えられているあなたは何をするのも自由ですが、その自由意志によって神の知恵や導きを求める選択をすることもできるのです。神に造られたものにとって、その選択が最善の選択であることは言うまでもありません。強いられてではなく、神への愛のゆえにそうしようではありませんか。

 あなたは今、どのような困難に直面しておられますか。その原因が自分の自由意志による間違った選択のせいであっても、他の人のせいであってもかまいません。また、自分を取り巻くどうにもならない境遇のためであったとしても、そこから抜け出す道はただ一つです。主の前に静まって祈りましょう。あなたとあなたの造り主とのつながりを取り戻すためです。その後、神の御心に沿った道を自分の意志で踏み出すのです。そうすれば神はいつでもあなたとともにいてくださいます。

 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。(コリント人への第二の手紙1章4節)

 苦しみを経験した人は、苦しんでいる人を誰よりも理解出来る人です。困難を経験することは人生に宝を積むようなものです。しかも、その宝は決してなくならないだけでなく、多くの人の人生を豊かにしてくれます。主にあっては、あなたの人生に起こることは何一つ無駄にはなりません。造り主につながっている限り、神は全てのことをあなたの益として用いてくださるからです。

 あなたは愛されています。

レックス・ハンバード祈りの家族

桜井 剛