祈りの家族への手紙:2016-01


 親愛なる祈りの家族の皆様。

 毎年新年になるとひとつだけ私を憂鬱(ゆううつ)にさせることがあります。大勢の人々が初詣と言って、一年に一度、自分たちが神と思っている偶像に手を合わせて祈るからです。たくさんのことを一生懸命に祈りますがその後の一年間は、再びそこを訪れることも思い出すことさえもありません。

 全世界、全宇宙をお造りになって、今も一瞬たりとも休むことなく守り、私たちの日々の生活を絶大な愛によって正しく導いてくださる神は、そのような神ではありません。

 異邦人にイエス・キリストを伝えることに命をかけていたパウロはギリシャを訪れて伝道しました。アレオパゴスに来て、当時は知的な民族だと言われていたギリシャ人が偶像をたくさん造って拝んでいる姿を見たときはがく然としました。彼らが拝んでいた偶像の一つに『知られない神に』と書かれているのを見たパウロは、いたたまれなくなって『この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。』と叫びました。(使徒の働き17章23節)

 私もギリシャに立ち寄ったことがあり、アレオパゴスにも行きました。そこで、私もパウロのまねをして、世界中からそこを訪れていた観光客に英語でイエス・キリストのこと伝えてみようと思い立ち、一晩かけて準備をしましたが、翌日は大雨となってしまい実現しませんでした。おかげでキリストの恥とならないで済んだのかも知れません。

 神は、私たちが祈る前から私たちの必要と願いの全てをごぞんじです。それでも、何も願わなくてもよいのではありません。祈りは大切です。けれども祈る前にもっと大切なことがあります。その祈りが誰に向けられていて、その方との親密な関係が保たれているかどうかです。

 古くからの日本の習慣で、誰もがやっているのだからと言って、本当に信じていないのに願い事だけを並べ立てて、それで安心が得られるでしょうか。本当に平安が得られる道を知らないのでしょうか。

 たいていの親は幼い子どもの願いを知っています。それでも、子どもが何かをお願いするのを嫌がりません。それが親子の心の交流だからです。同様に祈りは大切です。願ってもいいのです。けれども、祈りによって、目に見えない神に近づき、神をより深く知るようになることが大切です。

 2016年も私は皆さんの祈りのリクエストのために心を込めて祈らせていただきたいと思っています。けれども、祈りのリクエストを書いてくださるとき、一つお願いしたいことがあります。祈りを通して神に近づき、イエス・キリストをより深く知っていただきたいのです。

 人が神を完全に知ることは不可能です。神を普遍的な知識としてとらえることは人間にはできません。どんなに偉大な哲学者や神学者にもはっきりとした定義づけは未だに大きな課題となっています。ですから、本当に神を知るためには、むしろ、自分の方から進んで神に全てを支配していただくことです。私たちの身も心も人生の全てを神の支配の中に置くのです。そうすれば、私たちがもっと神を知りたいという思いを持ち続ける限り、少しずつであっても必ず分かってくるのです。

 私たちの人生は、神が愛をこめて与えてくださった賜物だからです。祈るごとに一歩一歩神に近づき、自分の中にあるものを一つ一つ神の支配にゆだねてまいりましょう。

 私は祈りの家族の皆さんが、個人的な祈りの課題を祈りのリクエストに書いて送ってくださることをとても重く受けとめています。なぜなら、お一人お一人がご自分の個人的な祈りを私にも打ち明けて一緒に祈る特権を与えてくださるからです。もちろん個人的な秘密は必ず守りますが私が責任を感じているのはそれだけではありません。その祈りが正しく神に向けられているか、神がそれにこたえてくださるかどうかについても、大きな責任を感じるのです。ですから、こたえられる祈りというものがどんなものかをぜひ皆さんに知っていただきたいと思っています。

 神と私たちとの関係はしばしば献身的な親子関係に例えられます。親はどんな見返りも期待せずに無条件で子どもに愛を注ごうとします。人間には全てに限界がありますが、神の愛には限界も制限も条件もありません。良い人間でなければ愛されないとか、良い行ないをしなければ神に愛されないということはありません。神はどんな人にも惜しみなく愛を注いでくださいます。それを実感するような関係ができるとき、私たちの祈りは神のみ心にそったものとなり、こたえられる祈りとなるのです。祈る前から神は私たちの必要を知ってくださりこたえてくださることが分かります。

 聖書のことばは私たちと神との関係を築く土台です。聖書のことばが神との親密な関係を築く助けとなるよう願い、2016年もあなたの聖句を選びました。このことばが、毎月の暗証聖句とともにあなたの中にしっかりとどまって、どんな時にもあなたの人生を支えてくれる土台石となるよう願っています。

 お便りや祈りのリクエストをくださったとき、私からの返事の中に毎回2016年のあなたの聖句をお知らせします。もし、あなたがすでに別の聖句が与えられているので、そのことばと差し替えることを願われる場合にはそれをお知らせください。そのことばをあなたの聖句にします。

 2016年は、あなたと神との関係がますます親密なものとなり、日々神の愛を身近に感じてあなたの祈りがきかれる年となりますよう心から願っています。

 どうか忘れないでください。神の愛には条件も制限もありません。思いきり大胆に神に近づき、日々神の愛を身近に感じて、平安と祝福をたくさん受け取ってください。

 あなたは愛されています。

レックス・ハンバード祈りの家族

桜井 剛