親愛なる祈りの家族の皆様。
ビクトル・ユーゴーによって書かれた、レ・ミゼラブルという物語は今も映画やミュージカルで紹介され、多くの人々に感動を与えています。あなたもきっと一度はお読みになったり、ご覧になったりしたことがおありになることでしょう。ジャンバルジャンがやむにやまれない境遇の中で罪を犯してしまい、それを赦すことのできないジャベル刑事の正義感がどのように人を追い詰め、人生を暗く厳しいものにしていくものかが分かります。一方、放浪の身だったジャンバルジャンは、親切に受け入れて世話をしてくれた教会から、金の食器を盗んで逃げ去って行きました。ところが、怪しまれて捕まり警察と一緒に戻って来ました。神父は「この人は盗んだのではありません。それは私がさしあげた物です。それに、あなたがお忘れになったものがありますよ。」と言ってさらに多くのものを与えて彼を赦しました。この神父の心の大きさによって人生が変えられていくのを見て誰もが感動したことでしょう。
誰でも場合によっては止むにやまれない事情から気が付かないうちに人を傷つけたり迷惑をかけたりしているかもしれません。誰もがそれぞれ違った弱さを持っているのです。人が行なった悪を裁きながら、自分では気が付かないうちに違う種類の悪を行なっているかもしれません。
全ての人は神の前には罪を犯していて、神の求める基準にはほど遠くなっています。どんな小さな罪も見逃されることはありません。それでも神はそれを赦す道を開いてくださいました。私たちを愛するゆえにそうしてくださったのです。
理解されること、赦されること、そして大切なものとして受け入れられることは本当に素晴らしいことです。そこから大きな励ましの力が生まれます。人はどんな人でも神の作品です。もともと大きな価値を与えられているからです。罪の性質がそれを打ち壊したり、だいなしにしようとしているのです。その策略に乗ってはいけません。それに打ち勝つ力は、理解し、赦し、愛することから生まれるのです。あなたの周りの一人ひとりがそのような可能性を持っています。
何か解決したい問題をお持ちですか。祈って、それを神の恵みを受け取る良い機会にしてしまいましょう。特にご家族や職場の人々との関係は日常に接することが多いだけに、それだけ問題や心配の原因となることが多いでしょう。けれども、その関係を良いものに変えてしまえばそれほど素晴らしいことはありません。毎日が楽しく、喜びでいっぱいになるはずです。
子どもたちや孫たちの健康や繫栄を願っていますか。それはごく自然の願いです。先ず、心を注ぐべき家族や友人が自分に与えられていることを神に感謝しましょう。それは神からの賜物です。それを自覚して感謝することから人々を愛する心が育っていくからです。その一人ひとりに自分自身の心を注ぎましょう。大勢の人を一からげにして扱ってはいけません。神は決して、あなたを大勢の中の一人として扱ってはおられません。ひとり息子、一人娘として大切にしてくださっています。私たちも心にかかる方々を一人ひとりそのように心にとめましょう。
「世界中の人が救われますように。」という祈りは確かに素晴らしい祈りです。そうなったらいいと思います。もし、今すぐそうなるべきだと神が思われるなら、そうなるはずです。もし、私たちにその一端を担わせたいと神が願われるとしたら、私たちの祈りは違った祈りになるでしょう。
一人だけに焦点を合わせ、名前をあげて、「今日、この方に会いますので神の恵みを伝える機会をお与えください。」という具体的な祈りになります。そうすれば、一人ひとりをもっと理解して、その人の事情を知り、心を通わせることができて、あなた自身の成長にも役立つに違いありません。
どうしても赦せないと思っている人がありますか。あなたがその人の心の中にある戦いや苦しみを知らないからかもしれません。何がそうさせているのかは誰にもわからないのです。あなたにもその方について分からないことがたくさんあることでしょう。けれども、神は全てを知っておられます。ですから、罪びとである私たちさえも、理解し受け入れて赦すことがお出来になるのです。
「もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。」(マタイの福音書6章14、15節)
人を赦すことによって、自分も赦され神が受け入れてくださることを期待することができますが、赦さない人は自分自身を自分で追い詰めてしまうことになるのです。罪や失敗のない人は一人もいないからです。人の罪を赦せない人ほど、自分の罪に苦しむことになってしまいます。
罪が全くない神の子イエス・キリストによって、神は罪を赦して人を受け入れる道を開いてくださいました。罪の全くない者だけが罪を裁くことも赦すこともできるからです。
愛され受け入れられるというあたたかい経験をしていない人が、人を傷つけたり悪を行なったりしてしまう時、その人を赦し、理解して受け入れてあげましょう。その人にはきっと人には見えない、誰にも理解できない苦しい事情があるにちがいありません。それが分かればきっと心から同情できて、その人を愛することさえできるようになるでしょう。
世界中の全ての人の苦しみも悲しみも理解し、心の中はおろか、髪の毛一本一本の数さえもご存知の神だからこそ、このような私たちを愛してくださるのではないでしょうか。
自分のことを第一に考える習慣がついている私たちにとって、人の悪を裁かないで理解しようと努めるのは簡単ではありません。全てを知り尽くした上で、なお私たちを愛してくださるイエス・キリストの愛に習って、人を赦し、受け入れて、自分自身の人生にも大きな宝をもたらす者となりましょう。主は「忠実な良いしもべよ、よくやった」と言って私たちを迎えてくださるに違いありません。
あなたの毎日が平安であり、喜びに溢れるようお祈りしています。
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード祈りの家族
桜井 剛