祝福のメッセージ:2016ー03

No.201603 

クリスチャンになった息子と無神論者の父との往復書簡

最後の手紙

「イエス・キリストを救い主として信じます。」

 グレゴリー・ボイドより読者の皆様へ、

 11月22日の最後の手紙以後は、父との会話のほとんどが電話によるものとなりました。
 互いに電話で話し合い、最後の手紙以後の2か月間はしばしば父を訪問しました。その時の私たちの会話はほとんどがキリスト教信仰についてでした。そして、話し合うごとに父のためらう心は消えていき、ついに1992年1月15日に、私の父、エドワード・ボイドはイエス・キリストを自分の救い主として受け入れました。

 以下の手紙は、父が信仰を受け入れた後の手紙の一部です。

  親愛なるグレッグ、

  電話でも話したように、私はとうとう大きな跳躍をすることにしたよ。

  今までのお前との文通を読み返してみると、
  あんなに知ったかぶりで高慢な私が変わるなんてとても信じられないような気がする。
  妻のジニーも驚いていた。私を知っている誰もが驚くに違いない。
  お前が言っていたように、天使たちさえも驚きと喜びで手を打ち合っていることだろう。
  姉さんのアニータにはこのことをもう話したのかい。

  振り返ってみると、お前が「聖書は神の霊感によるものである」
  と分かりやすく説明してくれた時から私の考えが変わり始めたのだと思う。
  その頃から、私の疑いの心が少しずつ消えていったような気がする。
  お前の忍耐深さには感心したよ。

  息子よ、私はお前には本当に感謝しているし、愛しているよ。

  これからもまだ分からないことがたくさんあると思うが、
  それは疑いの心ではなく、信者としてもっと知りたいからだと思ってくれ。
  聖書も読んでいる。不思議なことに少しずつ理解出来るようになった。
  これからも役に立ちそうな書物があったら送ってくれ。

  祈ることはまだ私には難しいが、だんだん分かってくる気がする。
  あまり気を張らないようにするよ。私の罪はもう赦されているのだから。

  たくさんの愛と信仰をこめて、

  父より

 

 感謝のことば

 父がキリストを受け入れる決心をしたとき、確かに嬉しかったけれども、父の性質を良く知っていた私は、信仰を持ってからの彼がどれほど変わるかについてはあまり楽観的にはなれせんでした。73才の父にとって、人生が大きく変えられるにはあまりにも年をとりすぎていると思ったからです。ところが、私の悲観的な考えは大間違いだったことが分かりました。

 聖霊の働きによって変えられた父が過ごした最後の11年間はどんなに大げさに表現しても足りないくらいです。

 父の大きな変化の一つは、感情の表現が全く変わったことです。特に公の場では自分の正直な気持ちを表わすことがほとんどありませんでした。ところが、クリスチャンになってからの父は、とても穏やかになり、しばしば、喜びを笑顔で表すようになりました。特に、私たちの長い文通の話を聞いてイエスを信じるようになったという人の話を聞くと、喜びの涙を流すことさえありました。彼がイエス・キリストを信じて信仰を持ったことは確かですが、あのように理屈っぽい父の信仰を支えるためにはいつまでも私の助けが必要だろうと思っていました。ところがそれも大間違いでした。父は決心するとすぐに幼子のような素直な信仰を持つようになりました。

 3度目の心臓発作で入院していた父を見舞った時、私は大切な役割を父に託す決心をしました。それは、クリスチャンにとってはとても重要な役割の一つです。

 私は父に、「私の祈りの戦士になってほしい」と頼みました。祈りの戦士とは毎日私と私の家族のために祈って私の働きを支える人になることです。

 父はしばらく考えていましたが、半身不随のために話すことが困難になっていた中から、声を絞ってこう尋ねました。「その祈りの戦士とやらは声に出して祈らなくてはいけないのかい。私はこのごろ、声を出すのがとても大変なんだよ。」

 かつては理屈っぽく高慢で頑固だった父が、神への祈りについてこんなに素直で単純に対応してくれていることを知って、涙を抑えきれなくなり、「お父さん。声に出しても出さなくても、祈りは神に届きますよ。」と言うのがせいいっぱいでした。すると父は満足そうに、「よし、それならまかしておけ。これからはお前のために毎日祈るよ。」と言ってくれました。

 信仰を持つ前の父は議論好きで怒りっぽい性格でした。ところが、キリストを信じてからは、とても穏やかになり、優しさに満ちていました。そして、驚くほど感謝に溢れていました。そんな父を以前には見たことがありませんでした。

 父は信仰を受け入れて間もなく、健康上の問題を多く抱えるようになりました。

 信仰を告白した一年後には何度も脳出血を起こすようになりました。そのために、だんだん体が不自由になっていきました。今までは何でも自分でできていた父が、車いすの生活になり、人の世話を受ける身となりました。

 80才になった頃にはほとんど目が見えなくなり、耳も聞こえなくなりました。それでも、父は何一つ不平を漏らしませんでした。それどころか、いつも感謝に満ちていました。

 最後の脳出血で昏睡状態になる直前に、私は父のそばにいました。すると父は涙を流しているではありませんか。私は、補聴器を通して大きな声で、「どうして泣いているの。」と尋ねました。かつては何でも自分でやらなければ気が済まなかった父が、今ではおむつを付けて横たわっているばかりです。それなのに片言でこう言うのです。「神は本当に恵み深い方だ。私は幸せだよ。」 私たちはしばらく抱き合って泣きました。私たちの理解を越えたことをなさる愛の神によって、私がかつて知っていた父とは全く違う神の子どもがそこにいるのです。

 別れの時、私は父の耳元にこうささやきました。「いつか来る天国の喜びを想像して、十分楽しんで。」そのささやきが聞き取れたらしく、父は笑顔で、「そうだな。」と答えました。

 それが、私たちの最後の会話でした。2週間後、父は脳出血で危篤状態になり、3週間後には亡くなりました。その間、父が天国の夢を見続けていたことが私には大きな慰めです。

 頑固で気難しかったあの父が変えられて、幼子のような単純さで神の国の一員とされたことを喜んでいる姿を想像すると、天国がますます身近に感じられるようになりました。

 今も父がいない寂しさはありますが、天国で再会するまで、この長い文通が一人でも多くの方の人生を素晴らしいものに変える助けとなってくれるよう祈ります。

 2003年1月

 グレゴリー・ボイド