祈りの家族への手紙:2016-05


 親愛なる祈りの家族の皆様。

 毎日のように続く大きな余震におびえつつ、いつ終わるとも知れない不自由な避難生活を強いられている熊本地方の皆さんは今どんなに不安な毎日を過ごしておられることでしょう。

 私たちは、5年前に東日本大地震と津波の被害にあって今も困難の中にある東北地方の方々のことについても、心を痛めていました。その上、今度は熊本地方で起こった大地震による被害です。

 こうした苦しみや悲しみを通して、多くの人々がその痛みを分かち合い、自分のことのように感じて心を通じ合うことが出来るようになっていることも確かです。今まで見たことも会ったこともない人々を、このような不幸な出来事をきっかけに、他人とは思えなくなり、今彼らに何が必要なのかを真剣に考えるようになります。実際にボランティアとして救援のために出かけて行った人々も決して少なくありません。

 「津波の被害にあった時に助けてくださったことが心に残っています。今度は私たちがお助けする番です。」と言っていた仙台から来ていたボランティアの方のことばが大変印象に残りました。お互いがもう、「どっかの誰か」ではなく、名前と顔をもった生きた人間です。被災者の一人ではなく木下さんのご一家であり山本さんなのです。人々が互いのことを思い、心を通わせ合うことは素晴らしいことです。一日も早く余震の危険が去り、復興が進むことを願わずにはいられません。

 私たちにはもっと身近にいて、いつも私たちのことを心にかけてくださっている友がおられることをご存じですか。イエスは私たちを友と呼んでくださり、私たちを名前で呼んでくださいます。

 わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。(ヨハネの福音書15章15節)。

 わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。牧者は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。(ヨハネ10章3、14節)

 イエスは良い羊飼いであり、私たちのことを誰よりも良く知っておられ、問題や試練を分かち合い、同じ心で困難に立ち向かい、喜びも悲しみも自分のこととして受けとめてくださいます。どんな困難も一緒に経験してくださり、勇気と希望を与え、喜ぶ時にはその喜びを幾倍にも大きくしてくださいます。

 イエスはそのような友として私たちを招いてくださっています。ですから、祈るときイエスは王の王、主の主、全能の神であると同時に、私たちの友であることを思い出してください。

 あなたは今、どのような困難と戦っておられますか。経済的な必要ですか。病気の問題ですか。人間関係の悩みですか。家族の心配ごとですか。どんなことでも、祈ることによって、イエスにその問題を一緒に負っていただきましょう。イエスがご存じでないことは何一つありません。

 あなたが大きな問題に直面したとき、良い友はそれを自分のことのように感じて一緒に心配し、一緒に泣いてくれるかもしれません。それは大きな慰めであり励ましです。しかし、人の力には限界があり、それぞれが負いきれない問題を抱えています。もしその問題が自分たちの手に負えないほど大きなものだったとすると、それ以上はどうすることもできません。けれどもイエスはこう言われるのです。

 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイの福音書11章28-30節)

 「くびき」とは、二頭の牛が一緒に荷物を運ぶとき、一つの丈夫な木製の鞍をその首に乗せて二頭をつなぐものです。そのくびきに荷物や荷車をつないで二頭で運ばせるためです。けれども、時には若い小さな牛を大きい熟練した牛と一緒につないで荷物の運び方を学ばせることがあります。その場合は、ほとんどの重荷は大きい牛にかかり、小さい牛にはあまり負担がかかりません。ただ一緒について行くだけです。それでもその小さな牛は自分で荷を運んでいるかのような自信を感じるのです。そうやって若い牛は荷物の運び方を学び、重い荷物も上手に運ぶことができるようになります。イエスが「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」と言われたのは、私たちがイエスと共にくびきを負うなら、重荷のほとんどをイエスが引き受けてくださるからです。

 あなたの心にかかる重荷をイエスに負っていただき、友と呼んでくださるイエスに全てをおまかせするなら、あなたの荷は軽くなり、たましいに安らぎが与えられます。

 神は私たちが祈る前から私たちの必要をご存じです。ですから、安心して何でも申し上げていいのです。祈りの課題をイエスに告げ、イエスと共有して、一緒に負っていただきましょう。

 イエスは天の高いところにおられる遠い存在ではありません。あなたのすぐそばにいて、どんなことでも分かち合える身近かな友です。いつも一緒に歩んでいただき、イエスから学ぼうではありませんか。

 イエスは完全に神であると同時に、完全に人です。ですから、あなたの痛みも苦しみも全て理解してくださいます。

 人は罪のゆえに神に似せて造られた本来の姿を失ってしまい、もはや自分の意志や力では神に近づくことができません。ですから、神の子であるイエスが完全な人となってこの世に来られ、私たちの重荷や苦しみの源である罪を全てご自分の身に負って私たちを自由にしてくださいました。私たちがイエスと共に人生を歩む限り、どんな時にも神との間に平和が持てるのです。イエスが共におられる故に神の子どもとして御国を受け継ぐにふさわしい者となれるのです。

 「疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来て、たましいに安らぎを得なさい。」

 イエスはあなたを大切な友と呼んで招いておられます。

レックス・ハンバード祈りの家族

日本主事 桜井 剛