親愛なる祈りの家族の皆様。
イエスがあなたに「わたしに何をしてほしいのか。」とお尋ねになったらあなたは何とお答えになりますか。
そこでイエスは、さらにこう言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」すると、盲人は言った。「先生。目が見えるようになることです。」マルコの福音書10章51節
目の見えない人が求めているものが何であるのかはだれにでも分かります。けれども、イエスはあえてその人に「わたしに何をしてほしいのか。」とお尋ねになりました。
ここに書かれているような、生まれつき目の見えない人ほど極端ではないとしても、誰でも、それぞれ、何らかの必要を抱えています。経済的な問題、健康上の問題、家族のこと、仕事上のことや人間関係などさまざまですが、その人にとってはそれぞれが大きな問題に違いありません。 イエスはあなたに対しても、「わたしに何をしてほしいのか。」とお尋ねになっています。
私たちは自分が本当に求めているものが何なのか分かっていないまま、がむしゃらに自分にないものを求める傾向があります。求める前に自分にはそれがないことは良いのか悪いのか、自分が求めていることがどういうことなのかを良く考えてみることが大切です。そうしないと、目先のことばかりを求めるあまりに大切なことを忘れたり、軽んじたりしてしまうからです。そこで、イエスは分かっていても「わたしに何をしてほしいのか。」とお尋ねになったのです。
求めることがいけないのではありません。私たちは神のご計画に従ってこの地上に生かされているのです。どんなことがあろうともそこからはみ出てしまうことは決してありません。大切なことは、何があろうとも、その全てを仕切っておられる方との関係を保っていることです。時には、自分の願っている通りにはならないことがありますが、それが、かえって神の愛から出た計らいであるのかもしれません。大伝道者パウロもそれを経験しました。
そのために私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。
このことについては、これを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いました。
しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。(コリント第二 12章7、8、9節)
私たちの願いと、全知全能の神の願いとには大きな違いがあることは当然です。しかし、それを少しでも近づけることが答えられる祈りの秘訣です。なぜなら、私たちが神に一歩近づくとき神は二歩も三歩も私たちに近づいてくださるからです。
神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。(ヤコブ4章8節)
私たちはイエスの祈りの中にそれを見ることができます。
わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。(マタイの福音書26章39節)
イエスは人間としてのギリギリの立場において、ご自分の願いと神のご計画との隔たりを取り除き、神のご計画に一致させて十字架への道を歩まれたのです。
全世界の魂を救うという、イエスに与えられた大きな使命と私たちの課題とは比べものにはなりませんが、私たちの願いを神の願いに近づけることはできます。あなたの祈りの課題について祈りの時間を通して神と語り合うのです。そうすれば神はあなたに二歩も三歩も近づいてくださいます。あなたの祈りも、こたえられる祈りへと一歩一歩近づくことでしょう。
「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。」(ヨハネ15章7節)と主は言われました。
主のみこころにとどまり、主のことばがあなたの心の中にとどまっているなら、あなたの願いと主の願いとが一致してくるのです。そうすれば自分が何を求めているのかがはっきりと分かるようになります。「あなたは何を求めているのか分かっていますか。」という質問にもはっきりと答えられるようになるのです。
自分が何を求めているのかをはっきりと自覚したなら、次に大切なことは、イエスにはそれがおできになるという確信を持つことです。イエスは「それが私にできると信じるのか。」とお尋ねになりました。神にはあなたの願いを聞き届けてくださる力がおありになると心から信じていますか。今のあなたにとってそれが最善であるという確信がありますか。
イエスが「わたしにそんなことができると信じるのか。」と言われると、彼らは「そうです。主よ。」と言った。そこで、イエスは彼らの目にさわって、「あなたがたの信仰のとおりになれ。」と言われた。(マタイの福音書9章28、29節)
あなたが求めておられることを、今イエスが行なってくださると信じていますか。もちろん、イエスは神ですからどんなことでもおできになります。けれども、今あなたの求めておられることを行なってくださることがあなたにとって最善であるという確信を持つことが大切です。あなたにとって最善でなければそれを行なってはくださいません。
私たちには、なぜ祈りが答えられないのか分からないことがしばしばあります。けれども、イエスはいつでも私たちにとっての最善を行なってくださっています。神が祈りを聞いてくださらないのではなく、私たちの側にそれを受け取る準備ができていないのです。
ですから、どんなことにも感謝しましょう。祈りが聞かれたら大いに感謝しましょう。祈りがまだ聞かれない時にも感謝しましょう。それによって私たちはさらに一歩神に近づき、確信を持って答えられる祈りをすることが出来るようになるからです。
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード祈りの家族
日本主事 桜井 剛