No.201606
イエスの祈り
断食と祈り、荒野で試みにあわれたとき
さて、聖霊に満ちたイエスは、ヨルダンから帰られた。そして御霊に導かれて荒野におり、四十日間、悪魔の試みに会われた。その間何も食べず、その時が終わると、空腹を覚えられた。そこで、悪魔はイエスに言った。「あなたが神の子なら、この石に、パンになれと言いつけなさい。」 イエスは答えられた。『人はパンだけで生きるのではない。と書いてある。』」(ルカの福音書4章1-4節)
クリスチャンの祈りは、しばしば断食と祈りとが一緒に教えられています。その祈りの真剣さが断食をすることによって裏付けされるためです。それはまた、イエスが手本としてお示しになった祈りでもあります。
断食は日常生活の営みから一時的に離れて祈りに専念することを意味しています。
けれども、断食の大切さはそれだけではありません。断食は祈りに力を添えるものです。習慣的な祈りや、形式だけの祈りとは違った、全身全霊を注いで集中した祈りです。そのような祈りにはしばしば通常以上に大きな力がともなうことが知られています。イエスもそのことを示唆しておられます。
「ただし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行きません。」
(マタイ17章21節)
祈ることと断食をすることとは、クリスチャンの場合には他には見られない特別な意味があります。なぜなら、私たちが信じているイエス・キリストは神のみもとから来られた神ご自身であるにもかかわらず、ご自身も断食をして父なる神に祈り、私たちに手本を示されたからです。
けれども、間違えてはいけません。断食をしさえすればよいのではありません。断食を強調するあまり、体の状態を考えずに断食を強行することがあるとすれば、それは大きな間違いです。食べることは本来必要なことであり祝福でした。けれども、そのいとなみには思い煩いや苦労が伴うものです。
なぜなら、人は罪を犯したために糧を得ることには苦労が伴うようになったからです。
(創世記3章17-19節を参照)
ですから、一時的に日常のいとなみから離れて祈りに専念するために断食をすることがその主な理由であって、断食の苦しみを味わうことが目的ではありません。
事実、ヨハネの弟子たちやパリサイ人たちはしばしば断食をしていましたが、イエスの弟子たちはあまり断食を行なってはいなかったようです。ヨハネの弟子たちがそれを咎めたことさえありました。(マタイ9章14節、マルコ2章18節、ルカ5章33節、などを参照)
そう考えると、イエスが教えておられる断食の祈りは食べるか食べないかではなく、全身全霊を注いだ真剣な祈りであるべきことが分かります。
「神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」
(ヨハネの福音書4章24節)
次にイエスがなさって、私たちに手本として示しておられることは、聖書のことばを正しく用いることです。
サタンはしばしば安易な解決方法によって私たちを誘惑します。
「飢えているのなら、この石がパンに変わるよう祈りなさい。」とささやくかもしれません。
私たちはどんなことでも神に指図することはできません。祈りが知らず知らずのうちに、私たちの都合のいいように神に指図することに変わってしまうことがあります。
その大きな危険を防ぐためには、常に聖書のみことばを日常の食物のように心に蓄える必要があります。『人はパンだけで生きるのではない。と書いてある。』からです。(申命記8章3節を参照)
イエスは、聖書のことばによってサタンの誘惑に対抗して、私たちにその手本を示されたのです。
ですから、毎月の暗唱聖句を心に蓄える習慣を持ち、毎日の聖書朗読に励み、一年間を通して一つの言葉を深く思いめぐらす習慣をつけることは、イエスに学び、イエスに近づくために大いに役立つに違いありません。
最後に、祈りと断食についてイエスが言われた大切なことがもう一つあります。
「断食するときには、偽善者たちのようにやつれた顔つきをしてはいけません。」
(マタイ6章16節)
断食をしていることは人に見せるためのものではないからです。
あたかも「私はこんなに熱心にお祈りしていますよ。」と、神以外の人に自己宣伝をするようなものであってはなりません。
私たちの祈りは、いつでも真の神だけに向けられるものです。
祈り
天の父なる神よ。私たちの真剣な祈りをお聞きください。
私たちがただあなただけに私たちの心を向け、全てを忘れてあなたに近づくことが出来るよう、私たちの心を整えてください。
どうか私たちがあなた以外のものに煩わされたり心をとらえられたりすることなく、霊とまことによってあなたに語りかけ、あなたを礼拝し、あなたに祈ることができますようにお導きください。
そして、あなたの御心ならば、今私たちが抱えている必要を満たし、この祈りを聞き届けてください。
私たちの救い主、イエス・キリストのお名前を通して、この祈りを御前におささげします。
アーメン。