祈りの家族への手紙:2016-07


 親愛なる祈りの家族の皆様。

 世界中で最も愛され親しまれている聖書のことばの一つは「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。」で始まるダビデの詩篇23篇です。あなたもきっとこのことばを覚えておられることでしょう。旧約聖書の中でも詩篇はどこを開いても人々の心に響くことばがたくさん記録されていて、多くの人から愛され親しまれています。

 その中でも23篇は特に古くから多くの人々に愛唱されてきました。イエスもそのことをご存じだったので、その一節に関連づけて「わたしは良い牧者です。」(ヨハネの福音書10章14節)と言われました。そう考えると一層このことばに親しみとを感じさせられます。

 詩篇23篇を読み進んで行くと、牧者に導かれた、豊かで平和な人生が思い浮かんできます。主とともに歩む人生は何と幸いでしょう。けれども、その中ほどには次のようなことばがあります。

たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。(4節)

 喜びと平安のときだけでなく、困難や不安もあることを知らされます。良い牧者、イエスに導かれてさえあり得る「死の陰の谷を歩くこと」とはいったいどんなことでしょう。

 「死の陰」は聖書の中ではしばしば、暗黒や黄泉(よみ)と同様に最も絶望的な状態を意味する言葉として使われています。そこにおちいると何一つ希望がなく、出口さえも見えず、どうしようもなくなります。ダビデ王もヨブも経験し、イスラエル民族全体も奴隷として外国につれていかれ、苦しい時代を経験しました。

 今でも世界中には身勝手な指導者によって毎日命の危険に脅かされて、逃げ出すことも出来ないでいる人々が何百万人もいます。残虐なISの脅威にさらされて家も財産も奪われ、家族を殺されて命からがら隣国に逃れても、そこにはすでに大勢の人々が避難してきているため自分たちの居場所もない人々もいます。彼らこそ、まさに死の陰の谷をさまよっている人々です。

 今の私たちはまだ、それほどの状態ではないかも知れません。けれども死の陰は誰にもやって来ます。大切な家族や友人を亡くすこともあります。それによって周りの人たちはどん底の悲しみと苦しみの中に落ちることもしばしばあります。自分がその当事者になることも避けられません。

 ダビデは「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても」と言っています。これからそのような困難に直面するかもしれませんが、そのときにも恐れることはないと言っているのです。確かに彼の生涯には大きな困難が待ちうけていました。詩篇3篇、13篇などに彼の苦しみの叫びが記されています。それでも、主がともにおられるので恐れることはないと言っているのです。私たちも、これから万が一にも死の陰の谷を歩くことがあったとしても、主がともにいてくだされば大丈夫です。

 死の陰の谷を歩くことがあってもわざわいを恐れなくてもよいもう一つの理由があります。ダビデは、死の陰の谷を歩くことはないとは言ってはいません。どうしても越えられないと思うような困難は誰の人生にもやって来ます。けれども、安心してください。困難を経験するときにこそ主はいっそう目をとめて助けの手をさしのべてくださるからです。神は大きな困難の中にある者を決して見過ごしにはなさいません。

 救い主の誕生について祭司ザカリヤはこのように預言しました。

 「日の出がいと高き所からわれらを訪れ、暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、われらの足を平和の道に導く。」(ルカ1章78、79節)

 ザカリヤは暗黒の時代を耐えて来たイスラエルの民族に希望の光が登ろうとしていることを預言したのです。その希望の光とは、暗黒の中に座している全ての人を照らす救い主イエス・キリストです。

 いつの時代にも、死の陰の谷に座する不幸な人々がいます。けれども神はそのような人々を決してお忘れにはなりません。ですから、あなたのうえに死の陰の谷のような大きな困難がやって来た時こそ、あなたの本当の牧者である主があなたに目をとめて、あなたとともにいてくださることを思い出してください。

 今あなたを苦しめているのは経済的な困難ですか、病気や健康の不安ですか。それとも、人間関係の問題ですか。家族の心配事ですか。それらの問題の共通点は、それがあなたの人生の終わりではないことです。そして、その全てに神の時があることです。神はあなたを見離してはおられません。いつも見守っておられ、最も適切なときにあなたの問題に関与してくださいます。良い羊飼いである主は決して羊から目を離すことはありません。

 もう一度詩篇23篇を口ずさんでこのことばを心にとめてください。主はどんなときにも決してあなたをお見捨てになってはおられないことに気付かれることでしょう。

 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。

 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。

 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。

 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。

 あなたが私とともにおられますから。

 あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。

 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。

 私の杯は、あふれています。

 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。

 私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

 あなたも私もこれから死の影の谷を歩くような不安やおそれを経験することがあるかもしれません。その時には、それが終わりではないことを思い起こしてください。主は生きておられ、良い牧者としてあなたをいつも見守っておられます。主に従って歩むなら、いつくしみと恵みが、喜びと平安があなたを追いかけてきます。あなたはほどなくその中に包み込まれるでしょう。何も恐れることはありません。

 あなたは愛されています。

レックス・ハンバード祈りの家族

日本主事 桜井 剛