No.201608
イエスの祈り
自分の奥まった部屋にはいって祈る
「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」(マタイの福音書6章6節)
イエスは弟子たちを導いて小高い丘に登り、「山上の垂訓」と言われている一連の教えをなさいました。その中では、神の国について多くのことが教えられています。神はただ単に王の王であられるだけではなく恵み深い父でもあられます。絶大な権威と支配の力を持っておられる神が恐れ多い遠い存在ではなく、親しく父と呼んで近づくことのできる方であるというイエスの教えは、それを聞いていた人々に神に対する全く新しい近づき方を力強く印象付けたことでしょう。
私たちもイエスの一連の教えの中から父と呼ぶことのできる神への祈りがどうあるべきかを学ぶことができます。
第一の教訓は奥まった部屋にはいり、父とだけの個人的な交わりを持つことです。祈りを学ぶときは自分の部屋を出てイエスの教室に入り、イエスだけを唯一の教師として、父と呼ぶことのできる神に祈ることを教えていただくのです。
サマリヤの女との会話の中では、イエスは「場所や方法に支配されない、霊的な礼拝を父は求めておられる」と教えられました。ですから、状況に応じて場所が変わることはあっても、世の煩いから離れて天の父からの力をいただくために神と自分だけが交わる場所が必要です。と言ってもそれは特別に用意された部屋である必要はありません。それは台所の片隅であったり、時には通勤途中の電車の中でも公園のベンチでも良いのです。たとえ、周りに多くの人がいても、そこはあなたと神だけの不思議な空間になり得るのです。
次に、イエスは祈りが必ず報いられることを保障しておられます。
「隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」(6節)と言われました。
隠れたところにはいると言われたのは、祈りが他の人を意識した見せかけのものにならないようにこころがけるためです。
また、「あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。」(8節)とも言われました。ことば数を多くしてくどくどと祈る必要はないと言われるのです。
このことばは、あたかも私たちの必要を神に願うことはあまり重要ではないかのような印象を与えます。なぜなら、全知全能の神は私たちのことを全て知っておられて、私たちに何が必要かを私たちが願う前から知っておられるので、わざわざそれをお知らせする必要などないと言っているように感じられるからです。けれども、祈りは私たちの必要がどんなに切実なものかを訴えるためだけではありません。祈りを聞いてくださる神の愛に、私たちがどれほど信頼しているかを示す機会ともなるのです。ですから、この祈りの時は父と私たちだけの個人的な交わりの時であり、私たちの心の深いところにある願いを十分に伝え、神がそれによって何を私たちに教えてくださるかを学ぶ時とならなければなりません。
初めから自分の一方的な考えで「どうしても、こうしていただかなければいけない。」という祈りではなく、神の御心はどうなのか、何が最善であるのかを神とともに感じてそれを求める祈りです。神との深い交わりを妨げるものは、自分から出たものであれ、外から来るものであれ、全て取り除き、あらゆる思いわずらいから離れ、静まって神のみ声を聞き、御心を求める祈りです。そのような霊的な深い交わりを通して祈りは報いられ、愛の神が私たちへの最善を行なってくださるという確信が得られるのです。
また、多くの人が自分のためだけでなく他の人のためにもとりなしの祈りをしてくださっています。そのときにも同じことが言えます。
「この人のためにはこうなることが最善に違いない」と決めつけてそう願っても、実はその人は違うことを求めているのかも知れません。まして、全てをご存じである神は、もっと良いことをその人のために用意しておられるのかも知れません。
そのような時にも、先ず神との交わりを深め、心の目と耳をすまして、御心を尋ね求めることのできる、父なる神とだけの時を過ごす祈りの場が大切です。そうすれば、神は、その大きな愛に溢れたご計画の一部をあなたにも分からせてくださるに違いありません。私たちは希望をもって祈り続けることが出来るようになります。そこには心の奥底に神との深い交わりがあり、イエスがともにおられ、あなたと語ってくださいます。
それは一夜にしてできるものではありません。長い年月をかけてそのような習慣を築き上げて来た方もおられることでしょう。これからそれを始めようという方もおられるかも知れません。いずれにしても、それはあなたの魂の養いにとってなくてはならない大切な習慣となります。
永遠の死から救い出してくださったイエス・キリストをいつも身近に感じつつ、人生の一歩一歩を歩むためには心の底で支えとなる方がいつもそば近くにいてくださる場所が必要です。そこでは、どんな状況の時にも、何物にもまさる平安を与えてくださる方が私たちの行くのを待っておられるからです。
祈り
恵み深い主イエスよ。心からあなた御名を崇めます。
私たちの祈りの場所が、父と出会い、父と対話し、その深い御心に近づくことができる魂の休み場となり、日々の生活の知恵と力と平安の源となりますよう。
私たちの祈りと願いが父なる神の栄光の豊かな富に従って、イエス・キリストの限りない愛のゆえに、聞き入れられることを感謝します。
イエス・キリストの御名によって。アーメン。