祝福のメッセージ:2016ー09

No.201609 

イエスの祈り

 

だから、こう祈りなさい。

『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。』(マタイ6章9節)

 良い教師は手本を示すことの大切さを知っています。何をどのようにすべきかを教えると同時に、自分でもそれをやって見せるのです。私たちの弱さを全て知っておられる全知全能の神から遣わされた私たちの良い教師イエスは、私たちが神に近づくためのことばを一つ一つ教えてくださっています。その中には、永遠のいのちに深くかかわる、祈りの神髄が秘められています。子どもたちでも理解できるほど単純でありながら、その中には永遠のいのちの息づかいがみなぎっていることを感じます。私たちの全ての祈りがこれを手本にしてきました。霊感に満ち溢れたこの祈りは、その基本的な祈りの形式を越えて、私たちの魂を神のみ前に導くという祈りの本質を教えてくれています。

 天にいます私たちの父よ。この表現にはイエスでなければ伝えられない特別な意味があります。今までのどのような預言者や聖徒たちも神に対してはこのような呼びかけをしたことがありませんでした。イエスは初めから神とともにおられ、神との深い交わりの中で、神と一体であられました。この方が人となってこの地上に来られたのは、神がどのようなお方であるかを私たちに示し、ご自分が持っておられた神との交わりの中に私たちを招き入れるためでした。イエスが示してくださった神は、慈愛に満ちた「父」でした。しかし、この方を「私たちの父」とお呼びするには、あまりにも大きな障害がありました。それが私たちの罪です。イエスは十字架の上で自らその罪の代価を払うことで、私たちを罪から救い出してくださいました。イエスを信じる私たちは今や何の遠慮もなく、神を父と呼ぶことができるのです。

 「愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。」(第一ヨハネ3章2節)私たちが新しく生まれて新しいいのちを与えられている、という奥義を「天の父よ」というこの呼びかけが自覚させてくれるのです。それだけではありません。やがて私たちが経験しようとしている、神の子として完成される日のための心の準備をもさせてくれるのです。このことばは祈りの要であると同時に全ての祈りの基本となるものです。このことばに始まる祈りを繰り返して、長年にわたって親しみ続けることによって、生涯を通してその深い意味が心と体で十分に理解されるようになることでしょう。

父としての神の愛は、祈りの学びの中では第一であると同時に最終的で究極の教えでもあります。それは生きておられる神を愛し、この方との親しい関係を確認することから始まるのです。神が私たちの父であられることの深い意味を聖霊によって教えられて、祈りの力と源がどこにあるのかを知るようになるのです。永遠であられる父の限りない優しさと憐れみと忍耐を感じることによって、私たちの祈りは大きな喜びへと変わるからです。

 私たちの祈りが霊とまことに満ちたことばとなり、いのちに満ちて心から溢れ出るまで聖霊が働いてくださるよう十分に時間をかけて待ちましょう。

 「天にいます私たちの父よと祈るとき、私たちは祈りが生きて力強く働く神の領域へと導かれて行きます。

 御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。(10節)

 このことばには私たちの心を打つ何かが秘められています。

 私たちは祈るとき、自分の願いごとを真っ先に並べ立ててしまいがちです。利己的な、勝手な願いごとと言うわけではなく、自分や、周りの人たちの幸せを心から望む良い願いであっても、ちょっと待ってください。順序が間違っているからです。

 先ず、御名そして御国そしてみこころと続くのです。それから、お与えくださいお赦しください、お救いくださいとなっています。この教訓は私たちが考えるよりも大きな意味を持っています。真の礼拝は父なる神が第一であり全てであるべきです。私たちが自分のことを忘れて父なる神の栄光を第一に求めるとき、私たちの祈りには一層豊かな祝福が増し加えられるのです。父なる神のためにささげるものはどんなものでも失われることにはなりません。

 この教訓は私たちの全ての祈りに当てはまります。個人的な祈りも、とりなしの祈りも同様です。とりなしの祈りはより短い時間で済まされると思うかも知れませんがそうではありません。主は祈りの学校を始めるにあたり、他人のためのとりなしの祈りに大切な役割を与えておられます。神がイエス・キリストを通して地上にもたらしてくださった愛の御業である魂の救いに、人々を導くための祈りは、特別に大切なことなのです。このことを目標としていない限り、私たちの祈りは決して成長を遂げることができません。

 幼い子どもは当面は自分が欲しいものだけを父に求めますが、成長するに従って「妹にもあげてください。」と言うことが出来るようになります。

けれども、さらに成長した息子は、父の願いがかなえられることを望むようになり、父の仕事を受け継いで大きく繫栄させることを望むようにさえなります。

 イエスは私たちを訓練して、神の御業を受け継ぐことによるさらに大きな祝福の人生へと導いて下さいます。私たちにとって、御名と御国とみこころに従った人生が最も大きな喜びなのです。神はそんな喜びを私たちに与えたいと切に願って今日も私たちの心に語りかけておられます。

次回につづく