祈りの家族への手紙:2016-11

レックス・ハンバード祈りの家族
357-8799 日本郵便飯能郵便局私書箱18


 親愛なる祈りの家族の皆様。

 「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。」と聖書は教えています。
(コリント第二13章)

 9月の手紙では信仰について学びました。祈りは鍵、信仰が扉をひらきます。

 10月は愛について学びました。信仰と希望と愛の三つの中で最も優れているものは愛です。あなたは神に特別に愛されています。

 今月は希望について学びたいと思います。あなたはこれからの人生にどのような希望を持っておられますか。一言では言いきれないほどたくさんの希望を持っているという方もおられることでしょう。もう年だから大した希望は持っていない、とおっしゃる方もおられるかもしれません。希望を持つことは年齢とは関係ありません。誰でも何らかの良いことを期待し、そうなるようにと望んでいるのです。だからこそ毎日の生活にも張り合いが生まれます。どんな状況のときにも、希望を持つことをやめないでください。いつまでも若々しく元気に生きるためです。

 けれども、私が今月聖書から皆さんと共に学びたい希望はそれとは違います。子供でも若い人でも老人でも、命を与えられている全ての人が持つべき究極的で永遠的な希望です。

 聖書はそれを「永遠のいのち」とも「神の国の支配」とも言っています。イエスは「わたしが与えるいのち」と言い、永遠のいのちのことを示唆しました。聖書も、イエスご自身もいろいろなことばでそれを私たちに伝えようとしています。それは人の知恵では理解しきれない特別なもので、私たちの想像を越えているからです。ここではそれを「永遠のいのちの希望」と言うことにします。

 私たちが持つべき最終的な希望は、私たちのこれからの人生に、どんなことがあろうとも決して揺らぐことのない支えとなるものです。どんな困難があろうとも失望したり、恐れたり、生きることを諦めたりする必要がない大きな支えだからです。若者も、老人も、辛いから、苦しいから、いやだから、耐えられないからと言って生きることを簡単に放棄しないでいただきたいのです。

 生き続けることが耐えられないほどの大きな困難や苦しみもあることは分かります。当事者にしか分からない辛いものに違いありません。いじめ、病気、過労、孤独、絶望がどんなにその人を苦しめていることでしょう。けれども、それがどんなに大きくても、永遠に続くものではありません。やがて過ぎ去るのです。しかし、あなたをこの世に生かし、そこでのいのちをお与えになった方は、この世で経験することだけではなく、さらに大きな目的をあなたに用意しておられます。それこそ永遠のいのちの約束であり、心からの満足と平安を持つことのできる確かな希望です。

 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。
 わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。
 
あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
(ヨハネの福音書14章27節)

 大きな困難にも耐え、希望と喜びを持って生き続け、周りの人々に生きる勇気を与えておられた人を、私は何人も見てきました。末期がんの痛みを負いながら神の愛を伝え続けていた宣教師を知っています。余命があとわずかであることを知らされていても「これがわたしの全てではありません」と笑顔で証をしていた人もいました。余命わずかと言われてからも世界中を旅して、生かされている意味と喜びをしっかりと家族に伝えていった人も知っています。その秘訣は何でしょう。神がその人を愛し、生かし続けておられることに意味と目的を感じ、約束されたものを大切に受けてとめていたからです。そこに大きな希望を持てる理由が見えてきます。

 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ローマ人への手紙5章3-5節)

 神は私たちを愛し、イエス・キリストによる大きな犠牲を払って私たちの罪を取り除き、創造した私たち一人ひとりに尊い人生を与えてくださいました。私たちに注がれている神の愛によって、私たちを、ためらうことなく神に近づける者にしてくださいました。私たちの人生が誕生と死の間だけで終わるものなら、なぜそのように大きな犠牲を伴ったご計画の必要があるのでしょう。

 神は私たちの人生だけでなく私たちの魂そのものに永遠の目的を持っておられるのです。神はもはや遠く離れた恐ろしい方ではありません。神は私たちが信仰によって近づき、親しく語り合い、必要な時には助けを求めることの出来る方となりました。私たちの創造主は、人生の意味も目的もこれからの行く末も全て知っておられるからです。ですから、患難さえも恐れる必要はない、と言えるのです。神はどんな時にも私たちを愛してくださっていることが分かるからです。私たちには希望があります。与えられたいのちを生きぬいて、引き続き、しかし今の不完全ないのちとは違う、完成されたいのちを神のそば近くで永遠に生きることです。

 ですから、最終的に私たちが抱くことができるのは、私たちの造り主である神が約束されたこの希望なのです。今の人生は、全人類がどんなに長く生きるとしても、やがて永遠に膨張し続ける宇宙とともに過ぎ去っていく一時的なものです。大切なのは神と共に生きる永遠のいのちを今から持つことです。それはイエス・キリストを通して誰にも与えられます。

 永遠のいのちはすでに始まっています。地上の命が終わっても永遠のいのちは続きます。人生にこの希望を持って日々生きるなら、永遠の命への希望がより一層確かなものとなるのです。今の人生に希望が持てないから、せめて未来の国に希望を持つ、ということではありません。

 神が約束された永遠のいのちは、今生かされている自分自身が、全く変えられた姿で生き続けることです。そのような素晴らしいいのちを与えられたとき、かつて、いい加減な生き方をしていたことを悔むに違いありません。過去は変えられません。けれども、イエス・キリストによって罪を赦され、罪が全くなかったようにしていただくことができます。ですから今のいのちを神の御心にそって大切に生きることは、永遠のいのちの価値を左右する大切なものとなるのです。それが、神の約束です。救い主となられた神の子イエス・キリストへの信仰がそれを確実にしてくれるのです。この希望が失望に終わることは決してありません。

 あなたは愛されているからです。

レックス・ハンバード祈りの家族

日本主事 桜井 剛