祝福のメッセージ:2016ー11

祝福のメッセージ

No.201611 

イエスの祈り

 

 御国と力と栄光とは主のもの

 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。(マタイ6章13節)

 私たちの日ごとの糧、罪の赦し、そして私たちが全ての悪の力から守られること、これら三つの私たちの願いは、私たちの個人的な必要の全てを代表して表現しているといえます。

 日ごとの糧を与えてくださる神の恵みによって生かされていることと、罪を赦されて清い生活へと導かれているという自覚は、私たちの日々の生活と密接に関係して、私たちを怠惰と悪の誘惑の力から守っていただくよう祈る必要のあることを自覚させるのです。同時に、こうした自分のための祈りが全ての祈りの最後に来ることにも大きな意味を感じます。

 国と力と栄えとは、とこしえにあなたのものだからです。(マタイ6章13節)

 神の子の皆さん。イエスは「天の父なる神にこのように祈りなさい」とおっしゃって「主の祈り」と呼ばれている祈りをお教えになりました。その結びとして、主のみ名と御国と御心が私たちの最も重要な愛の対象となるよう、私たちを促しておられます。私たちがそうすることによって、主は私たちの必要を満たしてくださり、私たちの罪を赦し、すべての悪から守ってくださいます。それが私たちへの確かな報いとなるのです。

 このように祈ることによって私たちは真に神の子とされる生活へと導かれていきます。そこでは、父の御心が全て子に向けられ、父が全てを子のために行なってくださるのです。

 私たちが「天にいます私たちの父よ」と呼びかけて祈り始めることによって、私たちは父子の関係がどのようであるべきかを理解するようになり、さらに、父のものは子のもの、子のものは父のものとなり全ては一つになるのです。こうして、「主よ、全てはあなたのものです」と祈ることができるようになります。これは同時に「父なる神のものは私たちのもの」と信じて、どんなことでも信仰によって大胆に願い求めることができるということです。このような関係の中では、どんなことでも神にお願いしてもよいことが分かります。このような祈りこそ、真に神との親しい交わりであり、愛と信頼に基づいた礼拝です。この方こそ私たちにとって初めであり終わりであり、全ての全てだからです。

 「御子イエスよ、私たちに、私たちの天の父にどう祈ったらよいのかを教えてください。」から始まった祈りの学校は、今回が最終回です。

 神は私たちに祈ることを促し、祈り方を教え、その祈りを聞いてくださるのです。
 何と恵み深い方でしょう。私たちはへりくだってこう祈るほかありません。

 「恵み深い神よ、あなたがお与えになった生きたみことばに感謝します。数えきれないほど多くの先駆者たちが長年にわたってあなたについて学び、あなたを父なる神として礼拝し、私たちにあなたに関する知識を受け継がせてくれました。その全てが真理であり、私たちが日夜学び続けるべきものです。その一つひとつをさらに深く学ぶために、どうか私たちに祈りを教え続けてください。私たちの祈りがあなたの御心にそった祈りとなるためです。

  主イエスよ、あなたもまた、弟子たちを前にしてこう祈られました。

 『父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。

 正しい父よ。この世はあなたを知りません。しかし、わたしはあなたを知っています。また、この人々は、あなたがわたしを遣わされたことを知りました。

 そして、わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。それは、あなたがわたしを愛してくださったその愛が彼らの中にあり、またわたしが彼らの中にいるためです。(ヨハネの福音書17章24-26節)』

 ですから、どうかあなたが祈られたように、私たちに父を明らかにお示しください。その御名と父と子との間の愛の偉大さを私たちに分からせてください。そうすれば、私たちは私たちの祈りの中で『御国と力と栄光とは全てあなたのものです』と告白して、霊とまことによってあなたを礼拝することが出来るようになるのです。

 どうか私たちが毎日の祈りの中で、いつもあなたをそば近くに感じ、日々生きる力を得られますよう。主イエスの御名によってお祈りします。アーメン。」