祈りの家族への手紙:2017-02


 
親愛なる祈りの家族の皆様。

 私は今77才です。幸い健康には恵まれて元気にやってこれました。美食を求めず、バランスのとれた質素な食生活を心がけ、酒もたばこもたしなみません。規則正しい生活をし、適度な運動も欠かしませんでした。

 ところが最近、毎朝せき込むことが多くなり、少しの運動にも息切れを感じるようになり、年のせいだろうとは思いましたが、念のために医師の診察を受けたところ、十年以上も前に治療を受けた肺気胸が再発していることを知らされました。しかも、長い間気が付かずに放置していたため、かなり悪化しているとのことです。

 私は今まで、多くの方の祈りのリクエストのためにお祈りしてきました。祈りがきかれたという知らせを受けて、ご一緒に感謝し喜んだことは数えきれません。祈っても、祈っても、祈りが答えられないと言われる方もあり、心を痛めてご一緒に更に祈り続けました。

 ところが、今、私は皆さんに祈ってもらう立場になりました。もちろん、今までも皆さんは私のために祈ってくださいました。それが私にとってどんなに大きな力となっていたことでしょう。私は何度も、神の臨在の中で自問自答しました。皆さんに心配をおかけするよりも、神の手にゆだねて平安のうちになすべき必要な治療を受ければよいのでしょうか。それとも、皆さんに特別に癒しの祈りをしていただくべきでしょうか。

 そして、皆さんに祈っていただくことを決意をして、この手紙を書いています。なぜなら、これは、皆さんにとっても良い機会になるに違いないと思ったからです。私が大勢の皆さんに集中して祈っていただけるとは何と幸いでしょう。

 そこで、あなたにお願いします。あなたが私のために祈ってくださるとき、日頃私が申し上げていることを実践していただきたいのです。

 祈り始めるとき、いきなりお願いしたり、こちらの事情を訴え始めたりしないで、まず、神に呼びかけ、神との交わりの道を開くことに専念してください。イエス・キリストの御名を讃美し、その救いのみわざに感謝し、過去の数々の恵みにも感謝して、今も全能の神に信頼を置いて、日々神にすがって生きていることをあなたのことばで申し上げてください。この事に十分の時間をかけた後に、あなたのことばであなたの願っていることをそのまま伝えるのです。くどくどと繰り返す必要はありません。神は全てをご存知だからです。あとは祈りを聞いてくださることを信じて感謝しましょう。

 もし、あなたがそれをしてくださるなら、それほど嬉しいことはありません。私は長年の間、福音を伝え、みことばを教え、悩みを聞き、祈りを導き、一緒にお祈りして来たことがあなたの中に生きて働いていることが分かるからです。それは私にとってどんなことよりも大きな喜びです。神の召命を受けた私の生涯には、それを知らされることほど大きな喜びはほかにありません。

 私が長年皆さんに励ましのお便りや、聖書の教えをお伝えして来たことが、今、自分自身のことで、具体的に力強く働くことを知ることになるからです。

 これによって、あなたの生涯も、私の生涯も、神としっかりとつながって、何が起ころうとも、まず、神を讃美し感謝することを忘れず、何も心配しないで、いつでも自分の力の範囲でせいいっぱい使命を果たすことができるようになるのです。こうして私たちは揺るぎない平安の日々を過ごせるようになり、イエスにお会いする時までその確信と平安が続くことでしょう。イエスを見上げつつ、祈り合い、励まし合ってそれを目指して進もうではありませんか。

 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
(ピリピ人への手紙4章6節)

 今も、私よりももっと苦しい病気との戦いをしている方もおられることでしょう。様々な問題に悩まされている方も、自分には手に負えないような大きな問題を抱えておられる方も、きっと少なくないと思います。けれども今からは、全てを神にお任せし、心配することはやめにして、自分に出来ることだけをせいいっぱいしようではありませんか。神が行なってくださる分まで私たちが心配していては、神があなたのために奇跡を行なってくださるチャンスを奪ってしまうことになりかねません。

 怠け者になってはいけませんが、自分に出来ないことは、神の手にお任せして安心することを学びましょう。私もそうします。

 私たちの人生はそれぞれ違っています。ある人は、日々大きな困難の中で苦しい戦いを繰り返して経験します。ある人は常にトップの地位を走り続けているように見えるかもしれません。けれども、それぞれに人知れず悩みを抱えて苦しい毎日を生きているのです。必要な物さえ得られず、明日をも知れない不安と苦しみの中におられるかもしれません。あるいは、自分の手に余るほどの物を持っていて、それを失うのではないかという恐怖にさいなまれ、夜も眠れないという人もおられるかもしれません。どんな人もそれぞれにそれぞれの悩みを抱えているのです。

 イエスは言われました。

 だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。(マタイの福音書6章34節)

 今ある恵みに感謝しましょう。主がすべてを知っておられるのですから、今私たちが心配して悩んでいる心のありのままを神におあずけして、最善を行なってくださることを信じて、安心してお任せしましょう。その上で、出きることはせいいっぱいやりましょう。私もそういたします。

 あなたは愛されています。

レックス・ハンバード祈りの家族

日本主事 桜井 剛