No.201704
どうしたら過去の苦々しい経験から解放されるでしょうか
過去に経験したひどい仕打ちや、嫌な思い出を持っていて、それがいつまでも脳裏から離れないと言う方がおられます。それを思い出すたびにその時と同じ苦しみを繰り返し味わっておられるのです。さぞかし辛いことでしょう。
失敗をしたり悪いことをしてしまったとき、いい気持ちになる人はいません。正常な人なら誰でも嫌な気持ちになるものです。他人から悪い仕打ちを受けた時も同じです。こんなことはあってはならない、という正義感がうずきます。ですから、そういう感情は異常ではありませんし、悪いことでもありません。問題はその嫌な経験をいつまでも持ち続け、実際にはもう過ぎ去ったことを繰り返し思い出しては苦しんでいることです。
私たちの体は熱いものを触った時、「熱い」「痛い」という嫌な感覚が働きます。大きな怪我や焼けどになる前にそこから離れるよう警告するためです。
何か悪いことをしてしまって嫌な感情を味わうことは、そこに深入りしないように、その失敗を二度と犯さないように私たちを守ってくれるためです。
ですから、それを避けて自分を守るために一度だけ経験すれば良いのです。一つの嫌な経験を何度も何度も思い出しては苦しむ必要はありません。
イエス・キリストは私たちを永遠の刑罰から救うために私たちの罪を全てご自分の上に引き受けて十字架の上でいのちを投げ出してくださいました。どんな小さな罪も赦すことのできない聖なる神に対して、私たちの罪の代償を支払ってくださったのです。ですから、私たちの罪は神の前ではイエスのゆえに全て赦されているのです。私たちはその事実を信仰によって自分のものとしてしっかりと受け取ることが大切です。そのためには「自分が赦されている」ということをはっきりと自覚しなくてはなりません。それは人を赦すことによってのみ可能になるのです。
イエスは「赦しなさい。あなたも赦されるためです。」と言われました。
もし、人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。(マタイの福音書6章14,15節)
若いときに受けたひどい仕打ちにいつまでも恨みを抱いて、いまだにその苦しみを味わい続けている方がおられます。人を恨んでも何の益にもなりません。赦して忘れてしまえば自由になれるのです。赦すことは自分自身を解放することです。
人が自分に対して行なった悪を赦して忘れることが難しいのは、自分が正しいと思い続けているからです。自分の正義感が許さないのです。少し目線を変えて相手の立場から眺めて見たら状況は違って見えるかもしれません。その人の事情や悲しみが伝わってきて、寛容になれるかもしれません。
人から受けた悪い仕打ちをなかなか忘れることができないときはイエス・キリストが十字架によって私たちの罪を全て完全に赦してくださっていることも一緒に思いだしてください。もし、正義の神が私たちのこれまでの罪を全て思い起こして私たちにつきつけたら、私たちはどう弁明できるでしょう。けれども、神は私たちの罪を思い出さない、と言ってくださるのです。
わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたのそむきの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。(イザヤ43章25節)
私たちも自分では気が付かなくても、誰かを傷つけたことがあるに違いありません。私たち自身も赦してもらわなければならないことがたくさんあるのです。誰かが私たちにひどいことをしたときも同じです。きっぱりと赦して忘れてしまえば、自分の罪に対する神の赦しの恵みを安心して受け取り、平安を取り戻すことができるのです。
過去の罪や失敗を悔み、自分を苦しめ続けている方もおられます。神は悔い改めてイエスにすがる者の罪を全て、十字架のもとに葬り去ってくださいました。死に値するほどの大きな罪を赦して忘れてくださっている神は、私たちが過去の罪や失敗に苦しみ続けることを願ってはおられません。イエス・キリストによる罪の赦しを受けたなら、それを完全に忘れ去ってよいのです。思い出しそうになってもそれを確認しようとしてはいけません。深入りする前に救い主イエスの名を呼び感謝してそこから離れ、すべての罪がすでに赦されていることを思って喜んでください。
イエス・キリストを信じたその時から神は全ての罪を赦してくださったのですから、他人から受けた悪い仕打ちも、自分が犯した大きな失敗も、いつまでも覚えている必要はありません。むしろ、そこから学んだことを生かして、罪を赦されていることに感謝し、その愛に報い、人を赦し、人を愛する者となれるよう努めましょう。
この世においては、誰もが、神に赦していただかなければならない罪びとなのです。
自分の周りに良い人ばかりがいることを期待できるのは神の国に行った時だけです。その時まで、互いに赦し合いましょう。