祈りの家族への手紙:2017-06

 2017年6月10日

 親愛なる祈りの家族の皆様。

 まだ子どもだった頃の私は科学少年でした。「将来ノーベル賞に値するような成果を残す科学者になりたい」と思っていました。一生の間に誰にでも喜ばれる良いものを後世に残すことができるとしたらそれは何でしょう。大きな会社や莫大な財を後世に残すことでしょうか。名誉ある業績や名声を残すことでしょうか。家族のために立派な家や建物を残すことでしょうか。

 どれも悪いことではありませんが、誰にもできることではなく永遠に残るものでもありません。この年になってからではもう遅い、と言う方もおられるかも知れません。そんなことはありません。

 あなたにも私にも、誰にでも、いつでもできることで、しかも永遠に残る大きな価値を持つことがあるとしたら、いったいそれは何でしょう。あなたもそれを残したいと思いませんか。そんなものがあるとしたら、何らかの形でそれに参加したいと思いませんか。あなたにも出来ます。神はあなたをそのような役割を負うものとしてこの世に生かしてくださっているのです。

 マルコの福音書8章36節の中で、イエスはこう言っておられます。

 「人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。」

 いのちは大切です。自分のものでも他人のものでも、粗末にしてはなりません。全世界よりも尊いからです。けれどもイエスの言われるのはこの世の命だけでなく、永遠のいのちのことです。そのいのちを、自分にも愛する人々の心の中にも残してあげることです。そうすれば、それが次の時代にも伝えられて永遠に残り、与えた人にも与えられた人にもいつまでも続くものとなるのです。御子を信じる者は永遠のいのちを持つからです。(ヨハネの福音書3章36節)

 永遠のいのちはイエス・キリストを自分の救い主として信じて心に受け入れた時、何の代価も払うことなくあなたのものとなります。どうか、あなたもイエス・キリストを救い主と信じて心に持っていてください。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることのないためです。

 イエス・キリストを信じる者が永遠のいのちを持つことは聖書の中に何度も教えられており、信仰の真髄となる教えです。私も多くの人々がイエス・キリストを信じて永遠のいのちを持つことができるよう伝え続けたいと願っています。神が私をこの世に生まれさせ、喜びと感謝に溢れる生涯を与えてくださっていることのしるしとして多くの人々の心の中にもイエスの名を呼ぶ信仰の種を残したいのです。また、あなたにもそうしていただきたいと願っています。そうすれば、あなたはご自分の生涯で永遠に消えない遺産を残すことになるのです。

 魂の救いと永遠のいのちを、どんなことがあっても失ってはなりません。ご自分の中にしっかりと持っていてください。持っていれば、ほかの人々に分けてあげることができます。特に、あなたの周りの愛する人々に永遠に残る遺産を分けてあげることができるのです。

 私はベランダで鉢植の野菜を育てています。花だけでなく収穫の喜びを与えてくれるからです。毎日適当な量の水をやり、大きく育つよう、いつも心にかけていなければなりません。病気や害虫にも気を配ります。

 最初のうちは収穫を実感できませんので、大変な苦労だと思いますが、続けていれば、元気に育って小さな実がつき始め、希望が現実的なものになり、喜びも伴うようになります。経済的にはスーパーで買った方がよほど安上がりですが、自分で育てたものが食卓に出ることには格別な喜びがあり人にも分けてあげたくなります。そこに私の心もあり、目に見えない喜びは計り知れません。

 そこであなたにお願いします。心にまかれた永遠のいのちへの種をしっかりと育ててください。日々聖書のことばに親しみ、イエス・キリストによる救いの喜びを毎日確認してください。祈りを通して全てのものの創造主であり、支配者であられる神との関係を築いてください。神のことばは永遠に至るいのちの水であり栄養です。無理をする必要はありません。自分のペースでいいのです。いつも祈り、神との語らいを通してあなたと神との関係を揺るぎないものにしてください。そうすれば、永遠のいのちへの希望と喜びを他の人にも分けてあげたくなります。

 今困難に直面しておられますか。それも無駄にはなりません。その時はご一緒に祈りましょう。私たちが日々経験する困難や問題は永遠に続くものではありません。私たちは、良いことがいつまでも続いてほしいと願い、悪いことがいつまでも続かないよう願います。どちらも永遠に続くものではありませんが、そのことのために神に願うあなたの祈りと、その祈りに答えてくださる神に感謝する心は、神とあなたとの間を近づけて、いつまでも続くものとしてくれます。

 病気が癒やされて健康が回復したとき、健康が大きな恵みであることに気が付きます。この肉体は永遠には続きませんが、祈りに答えて健康を与えてくださる神への信頼は永遠に残ります。

 人間関係の癒しも同じです。イエスは「赦しなさい」と言われました。赦せない感情をいつまでも心の中に残しておくと、イエスの教えに従えなかったという思いだけがいつまでも残ってしまい、あなたを苦しめ続けるからです。イエスのことばに従って人を赦し、人の行なった悪を忘れるとき、平安がやって来ます。同時に、それを自分の人生で可能にしてくださる神の愛を思うとき、神とあなたとの間に強い信頼関係が残り、それは永遠へと続くのです。その信仰は必ず人々の心を動かし、天に蓄えられた宝となります。

 良い人間関係を築く努力はすぐ報いられるとは限りません。でも、がっかりしないでください。この努力があなたをキリストに似た美しい人格へと磨き上げ、いつか相手にも伝わって素晴らしい関係が生まれます。けれども、それは副産物です。永遠に残る宝はあなた自身の霊的な成長です。

 私はいつまでも残るものについてお話をしています。今目に見えるものは永遠に残るものではありません。いつまでも残るのは心の中にあるものです。その中でも最も素晴らしいことは神の愛を自分の人生に溢れさせ、それを見た人の中に、神との永遠の関係を始めさせることです。いつの日にか天の御国に行ったとき「あなたの信仰の生涯を見て私もイエスを信じるようになり、ここにたどり着けました」という人に会えたらどんなに幸いでしょう。

レックス・ハンバード祈りの家族

桜井 剛