祝福のメッセージ:2017ー06

祝福のメッセージ
No.201706   

聖霊はどのような働きをなさるのでしょうか

 


 教会歴のカレンダーによると、イースターから50日目はペンテコステの日です。今年は6月4日がその日でした。旧約時代モーセの律法による過ぎ越しの祭から50日目には初穂の祝いをすることになっていました。新約時代になってペンテコステの日は歴史上特別な日となりました。その日、集まっていたイエスの弟子たちに天から聖霊が注がれて、福音が大胆に伝えられ、教会が世界中に誕生することになったからです。今ではペンテコステは聖霊降臨の日として世界中で記念されるようになりました。

 そこで今回は聖霊がどのような働きをなさるかを聖書から学んでまいります。

 ペンテコステの日にイエスの弟子たちに注がれた聖霊は、迫害におびえていた彼らの信仰に力を与え「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16章15節)というイエスの大命令を全世界で行なうきっかけとなりました。

 聖霊については聖書の中にしばしば書かれていて、教会でもよく話題になりますが、目に見えないために、はっきりと正しく理解することが難しいので間違った教えに陥らないよう注意する必要があります。

 聖霊の働きは初代教会の信者たちの上に見られたような、大胆で力に溢れた奇跡ばかりではありません。当時は福音が世界中に広められるためには、そのような働きが適切で必要でした。今でも聖霊によるそのような働きが見られることがあります。

 聖霊は信者を神の国にふさわしい者として育てる助けをするためにイエスを信じる一人ひとりに内住して働いてくださっています。

 ヨハネの福音書15章、16章のイエスのことばによると、イエスが弟子たちに授けようとしておられた聖霊は、イエスと同様に神と等しい品格と力を持った方で、去って行かれるイエスに代わって信者を助ける方として父なる神から遣わされました。

 イエスを信じる人には誰にでも与えられる最高の友、人生の同伴者です。

 「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。」(ヨハネの福音書14章、16節)

 聖霊は助け主

 私たちが問題や困難に直面して、祈るとき、平安がやって来ます。全ての問題を祈りを通して聖霊の手に委ねることができるからです。

 聖霊はイエスの教えを思い起こさせ、真理を理解させる

 聖書を読んでいる時、突然そこに書かれていることの深い意味を理解できることがありますね。それは聖霊がみことばの真理を明らかにしてくださるからです。

 わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。(ヨハネの福音書15章、26節) 

 聖霊はイエスの栄光を現わす

 イエスの栄光を現わすために信じる者たちと共にいてくださいます。どんな時にも「イエスならどうなさるだろうか」と問いかけるとき、全ての行ないや考えを清く正しく導いて助けてくださいます。キリストの姿にはほど遠いと思うのに、人々が違った見方をすることがあります。聖霊が未完成な私たちにもキリストの品性を示すチャンスを与えてくださるからです。未完成な私たちを通しても神が栄光をお受けになるためです。

 「御霊はわたしの栄光を現わします。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。」(ヨハネの福音書16章、14節)

 聖霊は正しい知恵と知識を与える

 困ったことに直面したときはまずその場で祈りましょう。祈りを通して、思いもよらない知恵が与えられることがあります。聖霊による知恵はイエスの栄光を現わします。どんなに良い知恵や力ある業も、イエスの栄光に反するなら聖霊の働きではありません。聖霊は決してイエスの栄光に反することはなさらないからです。

 聖霊は祈りをとりなす

 自分ではどう祈っていいのか分からないほどの苦しみに陥ることがあります。けれども失望しないでください。聖霊があなたの祈りを神にとりなしてくださいます。

 私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。(ローマ人への手紙8章26節)

 聖霊の働きは結果によって分かる

 「木はどれでも、その実によってわかるものです。」(ルカの福音書6章44節)

 ガラテヤ人への手紙5章22,23節によると、聖霊の実は次のようなものです。御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。

 聖霊は世の中の間違った考えを正しく判断してくれます。

 その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。(ヨハネの福音書16章、8節)

 世の中の道徳的な基準や判断がますます多様になり変化しています。何が悪であり何が善であるのかをはっきりと区別することが難しくなっています。世の基準がどんなに変わり、複雑になっても、聖霊は何が罪であり、何が神に喜ばれる義の行ないであるのかを、イエスの教えに照らし合わせて私たちに正しく判断させてくれます。

 イエスを信じる者に与えられている聖霊の助けよって、キリストの姿に近づき、世の光となってキリストの栄光を現わそうではありませんか。