祈りの家族への手紙:2017-08

2017年8月10日

 親愛なる祈りの家族の皆様。

誰にでも、出来ることとできないことがあります。神は何があなたにできて、何ができないかを知っておられます。ですから、あなたにできないことをお求めにはなりません。

 最近は社会の仕組みや技術の進歩によって、分からないことに直面することが多くなってきました。特に、年老いた者はなかなかついていけません。

 新しい道具の使い方や複雑な書類の書き方は慣れていないととても難しいものです。そんな時に助けになるのは、『よくある質問』という欄で、誰もが知りたがっていることを教えてくれます。それで解決することが多いのですが解決しないこともあります。そんな時どうすれば良いでしょう。

 良心的な会社や役所では、相談窓口を設けていたり、電話で直接相談を受け付けてくれることもあります。相談に対しても分かるまで丁寧に教えてくれます。

 寄り添い、声をかけ、話を聞いてくれることは、どのような明瞭な回答にも勝って、問題に直面している人を安心させてくれます。その上、それでできるようになることも少なくありません。

 社会から取り残されてさびしい思いをしないためにも、ある程度は自分でやってみることも大切ですが、自分にはできないと分かったら、素直に助けを求める勇気も大切です。自分の力を過信し過ぎて、使い方がわからないまま無理やり試して、ついに壊してしまうのでは大損害です。分からないことは素直に「教えてください」と言える勇気を持ちたいものです。

 逆に、何でも人に頼って、いつまでも自分では何もやろうとしないで、孤独と認知機能の低下を早めてしまうのもよくありません。何もかも自分の力でやろうと頑張る頑固者になって嫌われてしまい、本当にできなくなった時に誰も助けてくれないのも困ります。できることは自分でやり、できないことは素直にお願いしましょう。このことは、私たちの日々の祈りにも共通しています。

 皆さんが書いてくださる祈りのリクエストも、一言「感謝します」とだけ書いてくださる方もありますがそれでもお気持ちが大変よく分かります。祈りのリクエスト用紙一面に、裏も表もぎっしりと書いてくださる方もあります。その方の心配事や悩みが伝わってきます。神へのあなたの願いはそのまま書き続けてください。決して遠慮したり、あきらめたりしないでください。

 全知全能の神は私たちにできることも、できないことも知っておられます。私たちが祈るとき自分がやるべきことがあるならそれを示してくださるよう求め、できることをやってみましょう。

 ご自分が書いた祈りのリクエストの中にも、その実現に向かって行動できることがあります。愛する家族や友人をお救いくださいと祈るとき、自分の証しを送ったり、好きな聖句を書いて送ってあげることもできます。やろうと決心すれば、神がその力をくださいます。あなたはすでにそれを実行しておられるかも知れません。それでもだめなら、また祈りのリクエストを書き続ければいいのです。魂を救うことは神にしかできないことです。あなたの祈りは、神にしかできないことを求めるようになり、神の栄光がはっきりと表わされる祈りとなります。神はそういう祈りを喜んでくださいます。

 祈りのリクエストを書いたことがない方もおられます。成長したクリスチャンとして、自分と神との間の大切なことを自分だけで祈ることも大切です。私はそういう方を何人も知っていて、とても尊敬しています。毎月お送りする手紙を読んでくださるだけでも感謝ですが、何か一言でも書いてくだされば一層うれしく思います。

 また、献金をお送り続けて、私の働きを支援してくださっている方もおられます。今までこの働きを続けることができたのは、支援してくださる方がおられたからです。とても感謝しています。

 私の時間はあまり多く残されていないと思いますので、その時間を使って、できる限り全ての方、お一人お一人に寄り添って、主へのとりなしをし続けたいと思っています。ですから、これからも、あなたの心にかかることをご一緒にお祈りさせてください。今まで祈りのリクエストを書いたことのない方も、どんなことでも、何か一言お書きくだされば感謝です。あなたのことを神にとりなして祈っていれば、神の国で再会した時、顔は知らなくてもすぐ分かることでしょう。

 今では、世界的に有名な神学者として知られている、レインホルド・ニーバーという牧師が、かつて、アメリカの山村の小さな教会で説教をしていた時、最後にこのような祈りをしました。

 『神よ、自分では変えられないことはそのまま受け入れるいさぎよさと、変えられることは思い切って変える勇気と、その二つをはっきり見分ける知恵とをお与えください。』

 この祈りは、世界中に知られるほど有名になり、他の祈りと共に本になって出版されました。

 全知全能の神は私たちにできることもできないことも完全に知っておられます。私たちが祈るとき、ただ求めるだけでなく、私たちには何ができるかを示してくださいと祈り、その力を求めて、神が共に働いてくださることを感じつつ、御前で励む者となりましょう。イエスは言われました。

 「わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイの福音書28章20節)

 主がいつも共にいてくださるという確信は私たちに大きな平安を与えてくれます。自分の祈りが、自分の思いの通りになるかならないかには関係なく神はその全てを承知してくださっています。ですからどんなことでも、他の人のせいにしてはいけません。自分のこととして受け入れて、神の助けによって一歩を踏み出して切り開くのです。神は全てを見通しておられる公平な方ですから、最後には全てをあなたの益としてくださいます。

 神はいつでも私たちを愛し、私たちの味方になってくださるのですから、今願っていることに対して、自分にもできることがあれば思い切って実行し、できないことは全て神の手にお任せすればよいのです。主は私たちの弱さを知っておられますから、いつでも、最後には私たちに助けの手を差し伸べてくださいます。私はいつもあなたのためにお祈りしています。

 あなたは愛されています。

レックスハンバード祈りの家族

桜井 剛