祝福のメッセージ
No.201708
セレニティーの祈り(レインホルド・ニーバーの祈り)
神よ、自分では変えられないことはそのまま受け入れるいさぎよさと
変えられることは思い切って変える勇気と
その二つをはっきり見分ける知恵とをお与えください
その時に与えられた喜びを日々満喫しつつ過ごし
困難は平安にたどり着く通り道として受け入れて進み
不完全なこの世は、私たちのための世界ではないことを承知の上で
やがて主がすべてを本来の正しい姿にしてくださることを信じつつ
イエスご自身もそうなさったように、そのまま受け入れてそこに住み
御心に全てをおまかせして、この世では節度ある幸福に満足し
主と共に住む限りない喜びと平安が永遠に続く御国を待ち望みます
アーメン
英語でセレニティー(serenity)という言葉は、ありのままをそのまま受け入れる謙虚さや素直さを意味しています。私はそれをいさぎよさ(潔さ)と訳しました。
変えられないことをそのまま受け入れることは、確かに単純で分かりやすい態度ですが、実際に行なうことはそれほど簡単ではありません。人は本来、ゆずることのできない自分のやり方や考え方を持っています。それを思いきって神の手に委ねるのは難しいことです。
出来ないことはやらないというのでは、努力の足りない怠け者のように見られてしまうと思うかも知れませんが、自分では変えられないことをそのまま受け入れることは、独り善がりの安心感とは違います。それは信仰的な飛躍を意味しています。主にお任して最善がなされることを信じ、その結果を受け取る信仰だからです。
私たちの人生にはそれとは全く反対なこともしばしば起こります。なぜなら、努力しさえすれば、どんな難しいこともできると言えるほどの可能性が私たちには与えられているからです。けれども、できるかどうか、また、できたとしてもそれが良いことかどうかは誰にも分りません。もっと変わりたい、周りの状況をもっと良くしたいと思うことはたくさんあります。周りの状況を変えるには先ず自分自身が変わらなければなりません。
そこで、今の状況を受け入れるか、それとも良いことに変える勇気と力を与えられてそれを実行するか、どちらかを決断するには神からの知恵と判断力が必要です。どちらの場合にも神によって押し出されて進めば、その結果に失望することは決してありません。その結果を感謝して受け取ることができます。それは神からあなたへの賜物だからです。
後半はニーバー自身の祈りの中から選ばれて後から付け加えられたものですが、前半の祈りに美しく調和しています。
私たちは今生かされていることをどれだけ感謝しているでしょうか。それにどれほどの価値があり特別なものであることを理解しているでしょうか。
命を与えられていることを感謝し、その中で経験する一つ一つのことを喜んで受け取るとき、どんなことがあろうとも、生きていることが素晴らしく尊いものであることを感じるようになります。困難さえも真の平安へとたどり着く通り道として喜んで受け取れるようになるからです。
そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。(ローマ人への手紙5章3、4節)
この世は本来あるべき完全な姿ではありません。けれども、安心して住み続けても良い理由があります。主イエスも、この世が不完全であることをご承知の上で、そこに住まわれたのです。そこが永遠の住まいではないことを知っておられたからです。
そればかりではなく、イエス・キリストを信じる者には、矛盾と不正だらけのこの世界に住みつつも、やがて来る完成された永遠の御国の前味を喜び合うことができるようにしてくださいました。
ですから、私たちはこの世において究極の喜びと平安を追求する必要はありません。罪の世に罪びととして生まれた私たちにはそれは不可能だからです。「節度ある幸福」という言葉は、私たちを破綻に導く限りのない欲望を遠ざけて、むしろ、与えられた幸せを満足と感謝によって幾倍にも大きくする秘訣を教えてくれます。
愛に溢れた神は、主に信頼する者には永遠の御国の前味として、適度な幸福を日々与えてくださっています。それによって、私たちが信仰と希望をいだきつつ、主と共に住まう永遠の御国を目指すためです。
日々困難を経験しておられますか。思い通りにいかないことが多いことに悩んでおられますか。心配事が絶えないことで心を痛めておられますか。
それは決して特別なことではありません。
けれども、それを神の助けによって、あなたにとっては素晴らしいものに変えることができるのです。この世界そのものを変えることは神にしかできません。けれども、今の不完全な世界の中でも、与えられた人生を感謝しつつ生き抜くのです。やがて、私たちのために完成された完全な世界が永遠に続きます。その時には際限のない喜びと平安が私たちのものとなるからです。