祈りの家族への手紙:2017-10

 

2017年10月15日

 親愛なる祈りの家族の皆様。

 私は祈りの家族の皆さんが精神的にも肉体的にも霊的にも経済的にも人間関係においても恵まれて幸いであることを願っています。主がそれらの祝福を妨げるものを取り除いて、あなたを守ってくださるよう祈っています。あなたが健康で幸いな人生をおくることは神の願いだからです。

 愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。(ヨハネの第三の手紙1章2節)

 このみことばは、私たちが全ての点で幸いを得て恵まれているためには、たましいに幸いを得ていることが前提であることを示唆しています。あなたはすでにたましいの幸いを得ておられるでしょうか。その準備はイエスがすでに整えてくださいました。あとはただあなたが信仰によってそれを受け取りさえすればいいのです

 イエスの愛弟子ヨハネは年老いてからこの手紙を書きました。その中で「たましいに幸いを得ているあなたがたが健康など全ての点でも幸いであるようにと切に祈っている」と言っています。

 ここに私たち祈りの家族の中心的な土台が置かれているのです。

 神は私たちに苦しい修行を求めておられるのではありませんが、霊的な成長のための訓練やみことばを学び、クリスチャンとしての品性を育てる努力はあなたを幸せな人生へ導いてくれる大切で基本的な土台となるものです。

 神が私たちに願っておられる幸せは、多くの人々が安易に求めているような、何の問題もない平穏で豊かな生活ではないかもしれません。なぜなら、それが必ずしも本当の幸せに結びつくものではないことを神はご存知だからです。

 正しく管理する準備ができていないのに突然莫大な財産が転がり込み、働かなくても欲しいものが手に入り、何もしなくても安楽な生活ができることが必ずしも幸せとは限りません。むしろ、それは身も魂も滅ぼしかねない危険をはらんでいます。

 本当の幸せとは何なのか、あらためてご自分の問いかけてみましょう。

 冒険家や登山家たちは厳しい環境や危険を承知の上で困難に挑戦しています。スポーツの世界では苦しい訓練に明け暮れている人たちもいます。努力して目標を達成出来たらその喜びは格別でしょう。霊的訓練からくる喜びはそれにも勝るものです。

 少年の頃の私は科学が大好きでした。子どもには難しいような本を読んだり、実験をしたりしました。それが楽しくてたまらなかったのです。今の私はそれ以上の探求心でみことばを読み、イエスに近づきたいと努めています。それは苦しい努力やがんばりではなく、私の大きな喜びです。

 あなたはどのような幸せを求めておられますか。その願いが本当にあなたの幸せに通じるものであるかどうか吟味しつつ、祈りのリクエストを神に差し出しましょう。

 私はそのために、具体的にお祈りしたいと思っています。そして、それがあなたの幸せを願う神の御心と一致するよう願っています。

 神は愛であり、あなたが幸せであることは神の御心です。そのために、ご自分の独り子さえも惜しまず、私たちに与えてくださいました。

 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。
(ローマ人への手紙8章32節)

 神はあなたの幸せを妨げる罪の束縛からあなたを解放してくださいました。そればかりではありません。神は愛する者たちに永遠の国における絶えることのない大きな幸せを約束してくださいました。それなら、今しばらくの間の人生に幸せを与えることなど神にとってはたやすいことです。

「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された」のです。

 ですから、何事も心配しないで、全てを神の手にお任せして、神が与えてくださるあなたへの幸せをしっかりと受け取ってください。

 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ人への手紙4章6,7節)

 私はあなたの毎日が、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であり喜びで満たされるように切に願っています。   

 あなたは愛されています。

レックスハンバード祈りの家族

桜井 剛