2017年12月15日
親愛なる祈りの家族の皆様。
クリスチャンは他の人と比べて違う、とよく言われますがどこが違うのでしょうか。確かに、クリスチャンは他の人と比べて決定的に違うところがあります。それは、正直だとか、清い生活をするといった表面的な生活態度のことではありません。クリスチャンでなくても清く正しい立派な人だと言われている方はおられます。
けれども、クリスチャンんが決定的に違う点は、神の愛を知っていることです。ただ、知っているだけではなく、神の愛を知っているゆえに、その教えに従うことは最終的には私たちのためになるということを知っているのです。他の人を愛するよう努めていることもその一つです。それは、愛される人のため以上に、自分のためになるからです。人を愛さないこと、人を赦さないで怨み続けることは、結局自分の人生を惨めなものにしてしまうからです。ですから、人を理解し赦し愛することは特別に大きな力です。クリスチャンはこの力を賜物として与えられているのです。あなたは今、自分がクリスチャンであることを確信し、感謝して喜んでおられますか。
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。(ヨハネの第一の手紙4章10-11節)
神が愛であり、善意に溢れた方であることを知っている私たちは、何があろうとも慌てふためく必要はありません。どんな状況の時にも平安を持ち続けることができます。神は全てをご存じだからです。感謝しつつ、結果は神にお任せして自分にできることをせいいっぱい行えばいいのです。
もちろん、弱い人間ですから心配や不安に襲われることもあります。けれども、最終的には全ては愛の神の御手の中にあり、そこからはみ出てしまうことは決してないことを心にとめておいてください。
神に愛されている私たちは、人を愛し、人に信用されて、安心して接してもらえるよう努めたいと思います。特に、親しい人には、私たちを通して神の愛を知ってほしいと願います。それが祈りとなり伝道となるのです。今すぐに結果がみえなくても、その人の心に働き続け、やがて実ります。
今年のクリスマスにも、救われてほしい人の名前を挙げて、その人たちのために祈りましょう。祈るだけでなく、私たちに与えられている愛の賜物を通して、周りの人たちに神の愛がどのようなものかを知ってもらえるよう努めましょう。あなたの日頃の行ないによって、神の愛を知ってもらうことこそ福音宣教の要であり、全てはそこから始まるのです。「この人が信じている神さまならきっと本物に違いない」と言ってもらえるような愛の人になろうでありませんか。
神学が分からなくても、まだ聖書のことばを十分に理解していないと感じていても、神に信頼し、イエス・キリストを信じて、その教えに従って人を愛し、理解し、赦して受け入れるなら、人々はあなたを通して神の愛を感じ、イエス・キリストに近づくことができるようになります。
いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。(ヨハネ第一の手紙4章12節)
神は目には見えません。形に表わせるものではありません。言葉でも表わし尽くせません。
けれども、私たちの心の中に神の愛がとどまっていれば、生涯をかけて周りの人にその愛を伝えることができます。そのような生涯こそ、クリスチャンの生涯と言えます。そういう人々によってイエス・キリストの救いは多くの人々の心をつなぎ、その心の管を通して次の世代へと伝えられて来たのです。あなたも、私もその役割を負う大切な管の部分とさせていただいているのです。それは人類の歴史に関与する大きなことですが、先ずあなたや私の周りから始めることができます。
あなたの心にかかる人々を永遠のいのちの中に招き入れたいと思いませんか。今年のクリスマスこそ、それが実現する時としようではありませんか。
救われてほしいと思っている人のために、先ず祈りましょう。そして、その人の名前を書いてお送りください。私もあなたと一緒にその人のためにお祈りすることができるためです。
次に、愛と親切を示しましょう。あなたがその人のことを大切に思っていることを伝えるのです。もし、近くにおられないなら、電話をして、いつも心にかけていることを伝えてあげましょう。手紙を書いてあげるのもいいと思います。何らかの形でその人に対する愛を示し、あなたの行動を通して神の愛を感じてもらいましょう。難しいと思うかも知れませんが、あきらめてはいけません。神が働いてくださるときには驚くような奇跡も起こるのです。それがあなたの周りで起こったら素晴らしいではありませんか。今すぐ起こらなくても、その人の心の中で神の愛が働き始め、やがて実るときがきます。もしかしたら、それは、私たちがこの世を去った後になるかも知れませんが、それでもいいではありませんか。あなたの蒔いたのはいのちの種ですから、決して死ぬことはありません。あなたの愛する人々の心の中で芽を出す時が来ることを信じてください。
私は自分の力ではとうていできない、神が行なってくださるのでなければ起こらない、と思えるようなことが実際に起こるのを見てきました。ですから、私たちが真剣に祈って行動するなら、神はいつでもそのような奇跡を起こしてくださると信じています。
それだけではありません。あなたが信仰によって行動するとき、神はそれを何よりも喜んでくださいます。結果は今は見えなくても信仰の行動をご覧になって「あなたは私の愛する子である」と言ってくださいます。誰も認めてくれなくても、神があなたを「わが子」と呼んでくださいます。そして、あなたを通して神の愛が周りの人々に発信されているなら、あなたの人生は大きな意味を持つようになります。あなたは神に愛され、誰かにその愛を伝えるために、生かされているのです。今年のクリスマスにそれを再確認しましょう。
神はあなたを愛してくださっているからです。
レックスハンバード祈りの家族
桜井 剛