祝福のメッセージ:2017ー12

祝福のメッセージ
No. 201712

神の愛は見返りを求めない無条件の愛です

 クリスマスはイエス・キリストの降誕を祝う時です。教会歴によると、この時期はアドベントと呼び、主を待ち望む時として、12月の始めから1月1日まで続きます。12月24日と25日だけではありません。

 歴史上の大きな出来事が、時代と共に各地の伝統行事と混じり合って記念され、今のクリスマスになりました。

 「教会でもクリスマスを祝うのですか」と言われるほど、クリスマスは一般的な行事となっていて、この時期になると世界中のどこへ行ってもクリスマスの飾り物が溢れています。けれども、多くの人々はクリスマスの本当の意味を知りません。たいていの人にとってクリスマスはパーティーで楽しむ日、特別なデートの日、子どもたちにとっては、サンタさんからプレゼントをもらう日かも知れません。

 そこで、私たちも、神の子の誕生というクリスマスの意味を、どのように受けとめるべきかが問われている人間の側と、その重大な出来ごとを起こさせるほどまでに大きな神の愛との両面から考えてみましょう。

 私たち人間の側から見たクリスマス。罪による暗闇の中に射し込んだ光。

 暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。(マタイの福音書4章16節)

 人間には神を求める思いが備わっています。神に似た者として神によって造られた存在だからです。誰でも、人の力を超えた何か大きな存在があるに違いないと感じています。けれども、人間の側からは、それ以上一歩も先へ進めません。人は罪を犯し、神に背を向けて神から離れ、罪深い性質を持ってしまったので、どんなにあがいても、私たちの側からは神に近づくことが来ません。いつしか、神は私たちの手の届かない遥か高いところにおられる恐ろしい方となってしまったのです。

 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。」

 (ローマ人への手紙3章10-12節)

 神に背を向けているために、自分の方からは神に近づくことができなくなっている私たちを、神は何とかしてくださるのでしょうか。してくださいます。

 その希望は旧約聖書の預言にあります。聖書は、罪のため神から離れてしまった神の民に、神との関係を取り戻させる救い主の到来を待ち望むよう教えています。

 それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。

 (神は私たちとともにおられる、という意味)(イザヤ書7章14節)

 この約束はイエス・キリストの誕生によって成就しました。私たちの罪を取り除くための代価として神のひとり子が救い主として世に送られたのです。

 神から遠く離れてしまった私たちのために、神が人となって、神の方から近づいてくださいました。私たちにとってクリスマスは救い主として世に送られた神の子イエスを、自分の救い主として心の中にお迎えする決意の告白をするときです。

 神の側から見たクリスマス。アガペ-の愛(神の究極の愛)の表現。

 神は人を神に似たものとして創造して神と同じ自由意志をお与えになりました。それによって、人は予定た通りに動くロボットのような存在ではなく、また、本能のままに生きる他の動物たちとは違って、自分の意志で考えて行動する者となりました。神がそう造られたのです。自分の意志で造り主に従い、造り主を愛する者となることができる反面、神に背くものになることもできました。ところが、人は神に背く方を選んでしまったのです。

 人類の罪の起源については何度も聞いている私たちですが、それを自分のこととして、もう一度考えてみましょう。

 与えられた自由意志によって神に背くことを選んだ人間の罪を、神は、ご自分が犠牲を払って償うことになさいました。そこに人類への神の愛が表わされました。

 神の愛は見返りを求めない愛です。新約聖書では、そのような愛を他の愛情とは区別して「アガぺ―」と呼んでいます。

 見返りを求めない愛は、愛すれば自分も愛されるということを期待して愛するのではなく、たとえ相手がどうであっても変わることのない愛、敵をも愛せる愛です。

 神が支払われた犠牲とは、ご自分の独り子を、神に背いた人類の罪の代価として与えることでした。考えてみてください。宇宙にある全ての物を創造し、私たちをも造られた神が、造られた私たちの背きの罪のために、ご自分が大きな犠牲を払われたのです。それほどまで、神は私たちを愛してくださっているのです。

 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。 
 (ローマ人への手紙5章8節)

 神は、神に背を向けてしまった私たち人間を見捨てることができませんでした。やむにやまれぬ愛のゆえに、御子の命と引き換えに私たちを救う道をお作りになりました。こうして、罪によって妨げられていた神のもとに帰る道は完全に修復されたのです。天の父なる神は全てを整えて私たちを招いておられます。私たちはその道を通って神のもとに行くことができます。

 神の無条件の愛の招きを受け入れて神のもとに帰り、その平安を共に喜ぼうではありませんか。すでにその決断をしてクリスチャンになった方は、クリスマスのこの時期に、その恵みを再確認し、感謝してください。まだ決断したことがない方は今、そうなさってください。天の父は両腕を広げてあなたを抱き寄せてくださいます。

 メリー クリスマス。