祈りの家族への手紙:2018ー01

親愛なる祈りの家族の皆様

人生には一度やってしまったら取り返しのつかないことがたくさんあります。
コンピューターのゲームなら、もう一度初めからやり直してもいいのです。けれども、初めからやり直すゲームだったら、今までの経験や、積み重ねてきたものは 全て消えてしまい何も残りません。実際、現代の若者たちの中には、そのような感 覚で取り返しのつかないことを簡単にやってしまうことが増えてきているようでと ても心配です。
逆に、多くのまじめな人々は、自分が行なってきた失敗や間違いを、何度も思い 返していつまでも苦しみ続けています。
けれども、神は私たちが心から悔い改めて罪から離れるなら、どんな罪でも赦し て、新しい人生を歩ませてくださいます。現実の人生においては取り返しのつかな いことばかりです。不本意であっても故意にであっても、ひとたびやってしまった ことは、どんなに後悔しても、なかったことにはできません。その失敗の結果を背 負って残りの人生を生きていかなければならないのです。
神は私たちの失敗をどう扱われるのでしょう。一度行なってしまったことは、な かったことにはできないのです。神も私たちの失敗をなかったことにはなさいませ ん。けれども、それを良いことに変えてくださることがおできになります。ひとた び行われてしまったことの結果はなかったことにはできませんが、それを用いて私 たちを造り変えてくださることがおできになるのです。失敗の分だけ謙虚になって 、他人の弱さを思いやる人になってください。
陶器師が粘土で制作中の器は、彼の手で壊されたが、それは再び、陶器師自身の 気に入るほかの器に作り替えられた。(エレミヤ書18章4節)
失敗をしてやり直したいと思うのは、若者たちばかりとは限りません。過去の失 敗のために苦しみ続け、自信を失い、人生を恐る恐る過ごしておられる方も大勢お られます。
祈りの家族の中にもそのような方がきっとおられることでしょう。一人で苦しま ないで、一緒に祈り神の赦しと力をいただいて、胸を張って新しい一歩へと踏み出 しましょう。
私にもやり直したいと思うようなことはたくさんあります。
子供たちがまだ小さかった頃、子供たちを正しい良い人格を持った人間にしたい と思うあまり、教育としつけに熱心過ぎて、「あんなに厳しくしなくてもよかった 、もっと優しくしてやればよかった」と、今になって思うことが数えきれないほど あります。
けれども、親として子供たちとのかかわりを持つ大切な時間は二度と戻ってきま せん。けれども神はそういうときにもチャンスを与えてくださいます。全く同じこ とをもう一度やりなおすチャンスではありません。悔いる思いと反省を通して、よ り良い人格を作り出す強い思いを与えて、もっと素晴らしい人生へと導いてくださ います。
罪のために神から離れていた私たちを、主イエスはお見捨てになりませんでした 。私たちが罪を悔い改めて神との関係を取り戻す道を開いてくださったのです。も っと良い人生にしたいという願いがある限り、何度でもチャンスを与えてください ます。一度だけの人生です。初めからやり直すことはできません。失敗も含めて、 私たちの人生の全てをもう一度、主の御前に差し出し、そこからまた歩み出せばい いのです。過ぎ去ってしまった時間はもう帰ってきません。しかし、神はもっと良 いものを生み出す力を与えてくださいます。失敗は失敗と認めて悔い改めたら、その問題は神の前ですでに解決したものと信じて、前進しましょう。
悔い改めは、神に背を向けていた自分の中心の生き方を、神の教えに従った生き 方へと方向転換することです。 神のみこころに添った悲しみは、後悔のない、救いに至る悔い改めを生じさせま すが、世の悲しみは死をもたらします。(コリント人への第二の手紙7章10節)
「取り返しのつかない失敗をした」と絶望するのではなく、それを悔いて、もっと良いものを生み出す原動力にするのです。
どうか、失敗を恐れて打ちひしがれた人生にしないでください。神の赦しと新しい力によって、一歩を踏み出してください。そうすれば、あとで振り返った時、そ の失敗が祝福の入口になったことに気付くのです。その時あなたは、神が心にかけ ておられる弱い人々を、思いやり、力づけてあげる人になっているはずです。
あなたは愛されています。

レックス・ハンバード祈りの家族

櫻井 剛