親愛なる祈りの家族の皆様。
すでに祈りがこたえられているのに、私たちはしばしばそれに気づかないでいることがあります。せっかく祈りがきかれたのに、それに気が付かないとは何ともったいないことでしょう。
もう鍵はかかっていません。扉はいつでもあけられる状態になっているのに、その扉を開いて招待されている家の中に入ろうとしないのと同じです。祈りは鍵です。信仰が扉を開くのです。
信じて祈ったなら、その祈りはすでに聞かれているのですから、神は必ず何らかのかたちでその祈りに答えてくださいます。
祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。(マルコの福音書11章24節)
祈り求めるとき、「私の祈りはこのようにこたえられるはず」という自分の考えで勝手に祈りの答えられ方を決めようとしないで、神の方法にお任せし、ひたすら信じて祈るのです。神は私たちの考えや常識を遥かに超えた方です。私たちの思いをはるかに超えた良いものを用意してくださっています。自分の考えで祈りの答えの道筋を決めようとしないで、全てを神に任せきるのです。神は私たちの考えることよりもっと良いことを行なってくださるからです。ですから、神に指図するような祈りをしてはいけません。私たちの側としては、幼子のような純粋な心で私たちの願いを神に申し上げればいいのです。あとは神がご自分の方法で最善を行なってくださるからです。「求めなさい」と言われたイエスは、こうも言われました。
だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。
なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。(マタイの福音書7章8~11節)
大勢の皆さんが私の病気のために祈ってくださっています。本来、私が皆さんの祈りのリクエストのために祈り、聖書の教えの中から、こたえられる祈りの手本となるべきですが、今はかえって私の方が皆さんの熱心な祈りに励まされています。私は本当に幸せです。感謝します。
私は毎朝起きて、祈りの時間に入る時、深呼吸をして自分の肺の状態を試してみます。何度も試していると、確かに元気ですが、まだ以前のような元気な状態ではないように感じてしまいます。そんな自分に気が付いて「いったい自分は何をしているのだろう」と思いました。大勢の皆さんが、本当に熱心に祈ってくださっているのに、本人の私が、病気のことを気にし続けているのでは不信仰ではないか、と気が付いたのです。素直に受け入れる前に「本当になんでもないのだろうか」と、自分の考えで試して納得しようとしていたのです。
自分の理性にこだわらず、主ならどんなことでもおできになるのですから、どのように与えられるかよりも、与えてくださる神の愛を信じて受け取ることが大切です。
イエスはしばしば「あなたの信仰があなたを救ったのです」おっしゃいました。私もこれからはそう言っていただけるようになろうと思っています。
たとえ癌がそこにあっても、毎日元気に活動できているのですから、癒やされたのとどこが違うのでしょう。「レントゲンやCTの検査で癌の映像が消えてしまわなければ、祈りがきかれたのではない」と自分の理屈で決めつけることは間違いでした。神がなさることには人間の理屈は通用しません。神はすでに祈りに答えて、私を元気にしてくださっているのですから、私が癌と共に感謝しつつ生きるのは、癌なしで生きることと同じことです。
実際、多くの医者たちは「ほとんどの人がある程度の年齢になると、何らかの形で癌細胞を持っていて、それが活発になって症状が出るか、まだ小さく、ゆっくり成長しているので発見できないかの違いである」と言っています。
主は私をすでに癒してくださったのです。今回発見された私の癌が、まだ発見されていないたくさんの癌といっしょに私の中にあったとしても、主が私を元気に働かせてくださっているのなら、私はすでに癒されているのです。私はそのことに気づいていなかったのです。今回、主は私にそれを教えてくださり、その大切さを皆さんにお分かちすることを私にお求めになったのです。
祈りはきかれています。大勢の皆さんが信じて祈る祈りが神に届かないはずがありません。私も祈りがきかれていることに感謝しています。これからも、祈りの力を信じて、私に与えられている時間が続く限りますます力強く皆さんのために祈り、聖書の教えを分かち合う奉仕を続けたいと思っています。
皆さんの中にも、すでに祈りがきかれている方もおられます。その方とご一緒に感謝しましょう。まだその確信のない方は、聖書が約束している通り「祈って求めるものは何でも、すでに受けた」と信じましょう。
神は本当に恵み深い方です。私たちに命を与えてくださっているだけでなく、周りにある全てのものも、神が私たちに与えてくださっているのです。ですから、その全てをごぞんじです。家族のことも友人のことも生活のことも健康のことも、喜びも、希望も、それを備えてくださった神は、それにかかわる私たちの心配ごともすべて知っておられます。ですから、信じて祈る時、その祈りに答えて喜びと感謝に満たしてくださいます。私たちはその恵みを余すところなく受け取っているでしょうか。感謝して大切にしているでしょうか。
あなたの祈りはきかれます。もうすでに聞かれているのです。信仰によって祝福への扉を開き、その恵みの一つ一つを感謝して受け取ってください。
あなたは愛されています。
レックスハンバード祈りの家族
桜井 剛