祈りの家族への手紙:2018-03

親愛なる祈りの家族の皆様。                                             

 春が足早にやって来ます。厳しい寒さの中を通ることは、新しい命がより強く美しいものになるためにとても大切です。私たちの人生にも、真冬のような厳しい試練の時がやってくることがあります。けれども、それは決して無駄にはなりません。困難を主の助けによって耐え抜いて乗り越え、復活の栄光に共にあずかろうではありませんか。困難の時が、真冬のような厳しさなら、新しい命の芽生えは、主イエス・キリストにある永遠のいのちです。ですから、困難に直面したときには、祈り合い励まし合って、それを乗り越えてご一緒に感謝し、喜ぼうではありませんか。困難は分け合うと半分にも3分の1にもなります。喜びは分け合うと何倍にもなります。

 もうすぐイースター(復活祭)がやって来ます。今年のイースターは4月1日です。イースターはイエス・キリストの復活を記念するとともに、約束されている永遠のいのちを確認する時です。神の御子が人としてこの世に生まれ、私たちの罪の代価を十字架の苦しみと死によって支払い、死を打ち破って復活してくださったことを知らせるものです。ですからイースターはクリスマスとともに、大きな喜びの時なのです。

 何の罪もなかったイエス・キリストが十字架の死によって全ての人の罪の代価を支払ってくださいました。神はイエスを死から復活させてくださり、多くの人がそれを目撃しました。イエスを信じた者は罪から解放されて、イエスの復活のいのちにあづかることができます。イエスが十字架で死に、復活なさったこと、この事実を知らせることが福音、すなわち最高に良い知らせなのです。その知らせを信じて受け取った人々には新しい人生が始まります。

 パウロは、ローマにいるクリスチャンたちに送った手紙の中で、この福音の基本を丁寧に説明しています。

 パウロの願いは、ユダヤ人でも、ギリシャ人でも、どの国の人であっても、一人でも多くの人がイエス・キリストの福音によって罪から解放されて、永遠のいのちの恵みを受け取ってくれることでした。その同じ福音が今、私やあなたにも届いているのです。

パウロの確信は、どんな厳しい迫害の中でもゆるぎませんでした。

「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。」(ローマ人への手紙1章16節)

 彼は、相手を説得したり、罪を指摘して責めようとしているのではありません。一人ひとりの心に語りかけ、イエスの愛を伝えているのです。真実な人のことばは聞く人の心に伝わります。パウロが語った福音は人々の心を動かし、ローマの教会の信者たちだけでなく、ローマ帝国という強大な国全体が変えられました。福音はローマだけにとどまらず、さらにヨーロッパをはじめとして全世界に伝えられ、ついには、地理的にも文化的にも遠くにいた私たちにまで届きました。

 こうして私たちはイエス・キリストを知る機会が与えられて、永遠のいのちの希望を持つ者とされているのです。
永遠のいのちはただ長い命ということではありません。

 日本人の平均寿命は伸び続けています。それでもその年月はたちまち過ぎてしまいます。たとえ100歳まで生きようとも一瞬の間にすぎません。

 今私たちが受けている一番大きな制約、それは時間です。全ての物は時と共に古び、衰え、やがて滅び去ります。どんな人もその恐ろしい力からは逃れられません。しかし、神は時間を超えたお方です。神のくださるいのちも時間の制限を受けることはありません。

 主を待ち望む者たちの肉体も日々衰えますが、魂は永遠のいのちを慕い続け日々豊かにされます。

 私たち信じる者にとって、死は全ての終わりではありません。新しいいのちの始まりです。イエス・キリストを信じる私たちはキリストと共によみがえり、永遠のいのちを受けるからです。

 やがてイエス・キリストが再び地上に来られて、私たちが永遠のいのちによみがえるまで、私たちの信仰の戦いは続き、私たちの永遠のいのちへの道が続くのです。信仰者の朽ちるべき肉体の命の種は、良い地にまかれた種のように、たとえ死んでも新しい体によみがえり、新しいいのちの実を結ぶのです。朽ちるべき今の体のままでは永遠のいのちを受け継ぐことはできないからです。

 朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。(コリント人への手紙第一15章42-44節)

 兄弟たちよ。私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。(コリント人への手紙第一15章50節)

 イースターは私たちに与えられている神の約束を思い起こす時です。

 私たちの命と生涯は、死んで朽ちるべきものですが、決して粗末にしてはなりません。なぜなら、この命の種がなければ、永遠のいのちは芽生えないからです。だからこそ、私たちは祈り合って、困難を乗り越え、励まし合い、苦しみを切り抜け、喜びの時を分かち合って、神がお決めになった時が来るまで生きぬくのです。

 イエス・キリストを信じて新しく生まれ、神により頼む者となった私たちの地上の命の種は、死んでも永遠のいのちによみがえり、神と共に生きるのです。

 神はそれほど私たちを愛してくださっているのです。

 あなたは愛されています。 

レックス・ハンバード祈りの家族

桜井 剛