祈りの家族への手紙:2018-06

親愛なる祈りの家族の皆様。                                             

 祈りの家族が祈るときは、自分の願いごとだけを考えて祈るのではありません。神はしばしば私たちが願うよりもはるかに大きく素晴らしいことを用意してくださっているからです。ですから、神がどのようにこの祈りを聞いてくださるのかを考えながら祈ります。自分の願いごとだけに心を奪われていると、祈りを聞いてくださる神のことが自分の心から消えて、見えなくなってしまうからです。神はそのような祈りを喜んでくださるでしょうか。

 祈りによって神のもとに来る者は、今見えている限られた世界の常識だけにしばられていてはなりません。神のもとに来る者はまず、全知全能でどんなことでもおできになる神がおられることと、祈りを聞いてくださることとを信じなければなりません。神との交わりの中では私たちの常識は通用しません。むしろ邪魔になることさえあります。

 聖書に「信仰がなくては神に喜ばれることはできません。」とあります。(へブル11章6節)なぜなら、神は見ることも手で触ることもできないので、信仰によらなければ、神を知ることも感じることも、神と心をつなぐこともできないからです。

 けれども、それは常識に反することとは違います。常識を超えるのです。神のなさることは調和のとれた美しいものです。

 アブラハムは神を信じた。それを神は義と認めてくださった。(創世記15章、ローマ書4章)

 アブラハムは当時はアブラムと呼ばれていましたが-常識ではとうてい望み得ないことを信じました。まだ子どもがいなかったアブラムに対して、神は「あなたはアブラハム(多くの国民の父)となる」と言われました。彼はそれを信じました。神は彼の信仰を真実なもの(義)と認めてくださいました。それ以来、アブラムの名前はアブラハム(多くの国民の父)となりました。

 彼は、人の限られた知恵と経験に縛られている常識という現実からの飛躍的な解放によって、永遠から永遠まで変わらない神の御業を信仰によって受け取ることができたのです。

 信仰による義とは、主が言われたことを心にとめて、その教えを信じて受けとることによって、主がその信仰の態度を真実なものと認めてくださることです。行ないによってではなく、信じることによって、神は私たちを義と認めてくださいます。

 そういう信仰によって私たちの心は神とつながります。信じて心が神とつながらなければ本当の信仰は成り立ちません。神と真実に心がつながった時、そこに素晴らしいことが起こるのです。

 良い行ないを積むことによってではなく、ただ信じることによって義と認められるとは、何と素晴らしいことでしょう。

 イエス・キリストは私たちの罪のために十字架の死によってご自分のいのちで私たちの罪の代価を支払ってくださいました。私たちがその事実を自分のこととして信じて受け入れた時、神はその信仰のゆえに私たちを罪のない者として受け入れてくださるのです。

 そういうわけで、信仰がなければ、神に受け入れられることも、神を知ることも、神を感じることも、まして、神に喜んでいただくこともできません。

 信仰がなければ、私たちの祈りも神に届くどころか、常識のからの中に閉じ込められて願いごとだけで終ってしまいます。ですから、祈るときには常識的な自分の考えを越えて、神がなさるならどんなことでも可能であるという信仰をもって神に近づいて祈りましょう。

 旧約聖書の中に、生活に困窮していたやもめと一人息子のことが書かれています。彼らは、残っていた最後の粉で預言者エリヤにパンを焼いてささげましたが、神は、最後の粉も油もいつまでも尽きることがないという奇跡の恵みをくださいました。

 新約聖書には、生まれつき足が悪くて歩くことも働くこともできないために、宮の外で物乞いをして細々と生活をつないでいた青年が、通りかかったイエスの弟子たちにいくばくかのほどこしを求めた時、一時的な金銭はもらえませんでしたが、立って歩くことができるようになって、自分の力で働いて、生活を築くことができる力を与えられました。神にとっては大きなことをなさることも小さなことをなさることも全く同じことなのです。

 私は祈りの家族の皆さんからの手紙の中に、「神に感謝します」、「感謝しています」という言葉が書かれているのを見るたびに、心が震えます。外から見てどんな状況であっても、感謝することはできるのです。そして、その感謝の心は永遠に続きます。多くの方がそうしておられるのを知って、ただ、ただ、神をほめたたえるのみです。

 私たちの人生には、物やお金や健康も大切ですが、それよりももっと大切で素晴らしいことがたくさんあることを忘れてはなりません。神はすでにそれを私たちに与えてくださっています。

 神がすでにそれを与えてくださっていることにまだ気付いていないこともあるかも知れません。信仰によってそれをもっと見せていただいて、感謝に溢れるよう祈ります。

 もし、あなたが今幸せではないと感じておられるとしたら、あるいは自分が考えているような満足が得られていないと感じるとしたら、それはすでに与えられている多くの恵みを信仰によって見つけ出して活用していないため、感謝することを忘れてしまったからかも知れません。

 あなたの祈りを小さな現実の中だけで終らせず、神の大きな祝福のご計画にまで深めましょう。神があなたのために用意してくださっている最高の恵みに期待して祈りましょう。

 神はアブラハムが信じた約束を完全に成就してくださいました。

 信仰によって神に近づく者を、神は決して失望させるようなことはなさいません。

 あなたは愛されています。

レックス・ハンバード祈りの家族

桜井 剛