祝福のメッセージ:2018ー09

 No. 201809

「あなたがたは何を求めているのですか」
「来なさい。そうすればわかります」 

 イエスのこれらのことばはヨハネの福音書1章38、39節に書かれています。

 その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。私が『私のあとから来る人がある。その方は私にまさる方である。私より先におられたからだ。』と言ったのは、この方のことです。(ヨハネの福音書1章29、30節)

 その翌日、またヨハネは、ふたりの弟子とともに立っていたが、イエスが歩いて行かれるのを見て、「見よ、神の小羊。」と言った。ふたりの弟子は、彼がそう言うのを聞いて、イエスについて行った。イエスは振り向いて、彼らがついて来るのを見て、言われた。「あなたがたは何を求めているのですか。」彼らは言った。「ラビ(訳して言えば、先生)。今どこにお泊まりですか。」イエスは彼らに言われた。「来なさい。そうすればわかります。」そこで、彼らはついて行って、イエスの泊まっておられる所を知った。そして、その日彼らはイエスといっしょにいた。時は十時ごろであった。(ヨハネの福音書1章35-39節

 イエスがバプテスマのヨハネから洗礼をお受けになって、公に宣教の働きを始められて間もなく、弟子となる人々を集め始められました。ところが、弟子として招かれた人々は一般的には決して立派な人たちとは思われていなかった人たちばかりでした。当時としてはあまり尊敬されてはいなかった漁師たちや取税人でした。ところがこれらの人々は、三年半イエスと共に過ごすことによって、世界の歴史を変えるほどの働きをする人たちになったのです。

 今回考えてみたいのは、弟子たちと出会われた時のイエスのことばです。

 「あなたは何を求めているのですか」「一緒に来て、見なさい」

 イエスが、成人なさるまでを過ごされたのはガリラヤのナザレという村でした。ダビデ王の家系に生まれ、イスラエル民族を復興させる王として何世紀も前から約束されていた救い主とは似つかない姿に見えていたことでしょう。

 私たちは人の価値を判断する時、しばしば外側の姿にとらわれて、大切な内面的な価値を見失ってしまいます。イエスはいつでも私たちの実質的な姿を見ておられます。また、ご自分もありのままの姿を人々に見せておられるのです。

 イエスはいまも、「一緒に来て、わたしがどのような生活をしているのかを、自分の目で見なさい」と言って私たちを招いておられます。

 私たちがイエスの生涯をより一層現実的で身近なものとして学ぶために、先ず、イエスが語られたことばが直接引用されているのをしっかりと心にとめることから始めたのはそのためでもあります。いかなる注釈も説明も学ぶ前に、先ず自分で素直に何かを感じ取りたいからです。それから多くの人びとの意見や説明に耳を傾けて理解を深めていきましょう。

 バプテスマのヨハネがイエスを指さして「見よ、神の子羊!」と言ったとき、それを聞いてイエスについていった二人のうちのひとりはアンデレでした。もう一人の名は記されていませんが、この福音書を記したヨハネ自身だったと考えるのが自然です。彼らはイエスについて行き、泊っておられたところまでおしかけて行って、直接自分の目で見ただけでなく、その日はイエスと共に過ごしました。この数時間が彼らの人生の方向を変えたのです。

 ふたりがイエスとどのような時間を過ごしたのか想像してみてください。彼らはイエスのことばを一言も聞きもらすまいと、じっとイエスに目を注いでいたに違いありません。また、質問をしたり、それに対するイエスの答えに心をとらえられたことでしょう。共に食事をしたかもしれません。それは心の燃えるような時間でした。イエスはあなたともそのような交わりの時間を持ちたいと願っていらっしゃいます。

 しばしば偉大な人物と言われている人は、その個人的な生活をあまり公けにしなかったり、秘密にしたりします。外側に表れている人格と、本当の自分とが違っていることを知られたくないのでしょうか。

 けれども、イエスの生涯にはそのようなところが何もありません。何もかも全てを明らかにしておられるにもかかわらず、私たちには分からないことがたくさんあります。もともと、神であられるのに人としてこの世に来られたのですから人間である私たちがその全てを知ることなどできるはずがないのです。しかし、私たちにイエスを知りたいという思いさえあれば、イエスの方から振り向いて「あなたは何を求めているのですか」と声をかけてくださいます。

 もし、あなたがこの地上でイエスに出会うことができたら、何と言って声をおかけしますか。私もきっと「主よどこにお泊りですか」というに違いありません。この方のそばで一緒に時間を過ごしたいからです。

 あなたや私が今、地上に生かされているのには目的があるのです。その第一の目的は、人となってこの地上を歩まれた救い主イエスを知ることです。そうして初めてあなたや私は栄光の姿のイエスにお会いする準備ができるからです。ですから、今はこの上なく貴重な時間です。どうぞ聖書に親しみ、イエスを知り、イエスとの親しい交わりを持ってください。アンデレとヨハネのように、あなたの心は満ちたりることでしょう。

 今はイエスをこの目で見ることも、そのお声を耳で聞くこともできませんがいつでも私たちとともにおられるからです。