No. 201810
「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう」
「女の方。わたしの時はまだ来ていません」
「水がめに水を満たしなさい。さあ、今くみなさい」
「宴会の世話役のところに持って行きなさい」
それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、そこにイエスの母がいた。イエスも、また弟子たちも、その婚礼に招かれた。
ぶどう酒がなくなったとき、母がイエスに向かって「ぶどう酒がありません。」と言った。すると、イエスは母に言われた。「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」母は手伝いの人たちに言った。「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」
さて、そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、それぞれ80リットルから120リットル入りの石の水がめが六つ置いてあった。
イエスは彼らに言われた。「水がめに水を満たしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。イエスは彼らに言われた。「さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。
宴会の世話役はぶどう酒になったその水を味わってみた。それがどこから来たのか、知らなかったので、・・しかし、水をくんだ手伝いの者たちは知っていた。・・彼は、花婿を呼んで、言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、人々が十分飲んだころになると、悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました。」イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行ない、ご自分の栄光を現わされた。それで、弟子たちはイエスを信じた。(ヨハネの福音書2章1―11節)
マリヤはなぜ婚礼の主催者ではなく、客のひとりであったイエスに「ぶどう酒がありません」と言ったのでしょう。
この時、「女の方。あなたはわたしと何の関係があるのでしょう」と言われたイエスのことばに違和感を持たれた方も多いことでしょう。母親との会話とは感じられないかも知れません。
しかし「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう」と言われたイエスのことばには、大きな意味があることに私は気付かされました。この出来事はイエスが30才の時で、まだ多くのしるしや奇跡を行なってはおられないときでした。
マリヤはイエスの母です。けれども、マリヤはイエスが生まれる前から、天使ガブリエルの受胎告知などの数々の不思議な出来事を経験しました。
誕生の時の天使たちの喜びの歌声、羊飼いたちからの祝福、東方の博士たちのプレゼント、幼子イエスに対する預言者たちのことば、12才の時、両親から離れて「私の父の家」とイエスが呼ばれたエルサレムの神の宮で律法学者たちと論じていたことなど、マリヤはその全てを心にとめていました。イエスが神の特別な使命を帯びておられることを確信していたことでしょう。
イエスもそれを知ったうえで、「あなたは母として息子のわたしに相談に来たのですか。それとも、ひとりの人間として救い主の助けを求めているのですか。あなたとわたしは今どのような関係で向かい合っているのですか」と問いかけておられたのです。
マリヤの答えは、「このままではパーティーが台なしです。息子よ、どうしたらいいのでしょうね」ではありませんでした。マリヤは神の御子に助けを求めていることを改めて自覚したはずです。だから、手伝いの者たちに「この方が言われることは何でもしてください」と言ったのです。
信仰は心に秘められているものではなく、行動となって表れるものです。マリヤの指示を受けた者たちは、イエスが言われたとおりに、かめに水を満たしました。彼らはこの時イエスを神の子と知っていたわけではありません。ただ、このあたりで尊敬を集めていた女性の指示なので従ったのでしょう。ひとりの信仰の人がことを動かしていくのです。手伝いの者たちは自分たちが汲んだ水が最高級のワインになっているのを知って驚き、イエスに対して目が開かれたと容易に想像できます。こうして、イエスによる最初の奇跡が結婚式に集まった人々を溢れるばかりに祝福しました。
イエスのなさることには、それぞれに深い意味があり、その時その時に目に見えない大きな力を持っています。病人を癒すことも、パンを増やすことも、死人をよみがえらせることも、ただその奇跡で人々を驚かせ、ほめそやされるためではありませんでした。それによって人々の心に神への信仰が育ち、生活が変えられ、やがて社会全体が変えられて、歴史に大きな影響を与えるものでした。
この出来事から、イエスが行なわれる力ある業には、それを受け取る私たちのイエスに対する信仰の態度が重要な役割を果たすことが分かります。奇跡は神のわざです。しかし、それを自分のものとして受け取るだけの信仰が私たちになければ、意味がありません。
私たちはマリヤのように素直に信仰を行動に表しているでしょうか。イエスは私たちのために御業を行なってくださることを、本当に信じているでしょうか。
あなたは祈る時、大きな期待をして、その祈りがどのように答えられるのかを、心をときめかせながら、待っておられますか。
もしそうなら、祈るたびにあなたの心は期待に弾み、祈りの答えを受け取る前から喜びに溢れて、その答えが届く頃には何倍もの喜びに満たされるでしょう。