祈りの家族への手紙:2018-11


 親愛なる祈りの家族の皆様。

 秋が深まり、やっと晴れの日が多くなりました。忙しさにまぎれて空を見上げる機会が少なくなったこの頃ですが、晴れている夜は美しい星空を満喫しなければもったいない気がしませんか。星空を見上げて、その深遠な宇宙の大きさに心を大きく開いてまいりましょう。この宇宙を創造された全能の神はなんと偉大な方だろうと思うと、たいしたことでもないことに悩む自分の小ささをつくづく思い知らされます。けれども、神はただ単に、私たちの想像をはるかにこえた偉大な方であるというだけではありません。私たちをお造りになっただけでなく、全ての被造物の中心に私たちをおき、限りない愛を注いでくださっているのです。

 ではなぜ、私たちの人生には困難や苦しみがあるのでしょう。多くの人びとが自然災害や事故などに会って、困難を経験しておられます。経済的な困難や、病気で苦しんでおられる方も大勢おられます。このような苦しみがなければいいと誰でも思います。

 イエスも「私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください。」と祈ることを教えておられます。(マタイ16書13節)私たち人間は弱く、大きな試みに耐えられないことをご存知であられるイエスのあわれみです。しかし、試みや苦しみが何一つないことが最良の道ということではありません。星が美しく光るのは暗闇の中です。昼にも星は間違いなく天空にあるのですが、誰も気付きません。私たちが本当に世の光として輝くのは、多くの場合、困難の中にいる時です。

 神が私たちをお造りになったのは、困難の全くない人生をおくるためだとは思いません。困難も、苦しみも、痛みも、死もない、単純な人生をおくらせるためではなく、痛みや苦しみがあっても、神が共にいて助けてくださる人生です。痛みや苦しみがあっても、死が定めれれていても、神が平安を与え、復活と永遠のいのちの希望を与えて、耀かせてくださる人生です。イエスは言われました。

 「これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」  (ヨハネの福音書16章33節)

 皆さんから送られてくるお便りの中には、本当に大きな苦しみの中におられる方からの祈りのリクエストがあります。どうしてこのような苦しみにあうのだろうか、と私も心が痛みます。そのために真剣に祈らされます。けれども、愛の神はその時にも共におられることを忘れてはいけません。あなたが苦しむとき、あなたを創造なさった神も共に苦しんでくださっているのです。

 神がその独り子イエスをこの世にお送りになったのは、神が人とともに住み、人と共に苦しみ、全ての痛みや苦しみを、十字架によって取り除いて、肉体的にも、霊的にも、解放してくださるためです。

 私たちの命と体は、他のどのような被造物とも全く違うのです。神が私たちのうちに住んでいてくださるからです。
 あなたが苦しむとき、イエスもあなたと共に苦しんでおられるのです。あなたが悲しむとき、イエスもまたあなたと共に悲しんでおられます。あなたがそれを感じるかどうかには関係なく、イエスはいつもあなたと共にいてくださり、あなたの喜びも悲しみも全て知っておられるのです。ですから、あなたは一人で悩んだり苦しんだり悲しんだりする必要はありません。イエスは、

 「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(マタイ28章20節)と約束してくださっています。

 空の星を仰ぐ時も、美しい自然をめでる時も、神の御業の素晴らしさに、心が喜びと感謝に満たされたときにも、神は私たちと共にいて、共に喜んでくださいます。ご自分が造られた全てのものをご覧になった時、神は非常に良いと満足なさいました。(創世記1章31節)しかし、神はその偉大な御業を一人で喜ぶために行なわれたのではありません。人と共に喜ぶためでした。

 私たちの周りには、いやなこと、苦しいこと、悲しいことよりも、もっと多くの美しいもの、素晴らしいもの、楽しいこと、喜ばしいことがあることを忘れないでください。神は私たちの命をこの上なく良いものとしてお造りになりました。そして、私たちのうちにお住みになることを喜ばれます。

 今の状況がどのように見えても、神が共にいてくださる自分の命を、大切にして生きてまいりましょう。困難の時も喜びの時も、神がイエスを通してそれをあなたと共に経験してくださっていることを思い、安心してください。

 「こんなに多くの苦しみや困難があるのに喜んでいられるものか」とおっしゃる方もおられるかもしれませんが、そのためにこそ、私たちは互に祈り合うのです。互に励まし合いましょう。イエスが私たちと共におられ、私たちの重荷を負い、共に痛みや苦しみを負ってくださっているのですから、どんな困難な状況のときも平安を失わないで、イエスと共に喜ぶことにしましょう。

 ラザロが病気で死んだとき、イエスは悲しんでいる人々と共に涙を流されました。

 イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になった。そして、霊に憤りを覚え、心を騒がせて、「彼をどこに置きましたか」と言われた。彼らはイエスに「主よ、来てご覧ください」と言った。イエスは涙を流された。ユダヤ人たちは言った。「ご覧なさい。どんなにラザロを愛しておられたことか。」(ヨハネ11章33-36節)

 病気の青年がイエスのもとに来て、助けを求めたときには、イエスは深くあわれみ、手を伸ばして彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われました。(マルコの福音書1章41節)イエスはあなたにも、「世の終わりまで、いつもあなたとともにいる」と約束しておられます。

 あなたは愛されています。

レックス・ハンバード祈りの家族

桜井 剛