親愛なる祈りの家族のみなさん
自然界が生き生きとよみがえり、命のすばらしさを私たちに見せてくれる春がやってきました。あなたの周りではいかがでしょうか。私はいつも思うのです。厳しい冬を過ごしておられる北国や山陰地方の方々は、どんなに苦労してこの冬をお過ごしになられたことでしょう。寒い長い冬、晴れの日が少なく太陽を見ない日が続くこともあり、命がけの雪おろしや通路の雪かきもしなければなりません。どんなに大変な日々かと思います。けれども、その中でもきっと良いこともたくさんあるに違いありません。春が遅い分だけ美しい冬景色が見られて、そこでしか得られない旬の食べものなど、たくさんの良いことがあって、それを期待しつつ、厳しい冬も頑張れるのですね。
それはちょうど復活の日の恵みを望み、喜びをもって困難を克服するクリスチャンと似ています。復活の希望を持っているゆえに、しばらくの困難にも耐えることができるのです。いいことだけを経験していたら、それが当たり前であって、ありがたくもなんともありません。苦しみと忍耐を通ってこそ本当の喜びに行きつくのだと思います。ですから、私たちは少々困難なことが待ち受けていても、あるいは、困難が大きければ大きいほど、やがて来る喜びの時を待ち望みつつ毎日を感謝して生きることができるのです。
イエス・キリストの復活を記念する、今年のイースターは、4月21日です。
神は私たちの手本となるようイエス・キリストを復活させてくださいました。それによって私たちの復活を保証してくださっているのです。
日本ではクリスマスは多くの人に知られていますし、イースターも少しづつ知られるようになりました。しかし、どちらも本来の意味からはかけ離れたお祭りになってしまいました。
クリスマスは神が人となってこの世にお生まれになったことを感謝してお祝いします。救い主の誕生は長い歴史の中で人々が待ち望んでいたことでした。それが2000年前に実現しました。
人となってこの世に来られたイエスは、私たちが犯した全ての罪の代償として、ご自分のいのちを差し出して、十字架の上で死んでくださいました。神はこのイエスを死から復活させて、私たちに永遠のいのちを保証してくださったのです。イースターはイエス・キリストの復活を記念 するとともに、私たちの復活が約束されていることを確認する時でもあります。
イエスを信じる者は、イエスと同じように復活して、神と共に永遠のいのちを生きることが約束されているからです。イースターが来るたびに、私たちはその約束を信じて待ち望んでいることを告白するのです。これは、今も続いている私たちの望みです。
イエスは言われました。
「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。
また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。
あなたは、このことを信じますか。」(ヨハネの福音書11章25、26節)
パウロはこう説明しています。
もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。(ローマ人への手紙6章5節)
復活は、罪のゆえに必ず死ななければならない弱い私たちが、神の愛と憐みのゆえに、死を超えて永遠に神との交わりを持ち続けることができる唯一の希望です。
私たちは罪のゆえに不完全さを背負って生きている弱い人間です。その弱さのゆえに痛み、苦しみ、恐れるのです。けれども、それが私たちの全てではありません。痛みを感じつつ生まれ、痛みを感じつつ死んでいくだけではないのです。もしそれが全てであるなら、わずかばかりの力をたよりにして、自分の力で弱さを克服しなければなりません。しかし、それは私たちには不可能です。イエスは弱い人々を心から憐れんで、御手を伸べて引き上げてくださいました。ですから私たちもキリストにならって互いに支え合うのです。
ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。(コリント人への第二の手紙12章10節)
もし、私たちがイエスのように、愛と赦しの心で弱い人に接し、その人を受け入れて励まし、互いに祈り合って、与えられた力で最善を尽くす心を持っているなら、イエスも、同じように弱い私たちを愛し受け入れてくださり、復活の恵みと永遠のいのちに共にあずからせてくださいます。
私たちのいのちは、時間と空間に縛られたこの肉の体が持っている地上での命だけではありません。神に似た霊的な性質を持つ者として創造された傑作です。罪によって空しい者となってしまいましたが、それでもなお、神が愛を注いで造ってくださった作品として慈しまれているのです。ですから、私たちが今経験する痛みも悲しみも困難も、後の喜びに比べるなら取るに足らないものです。神は今あなたや私が持っている弱さを神の強さの中に包み込んでくださいます。私たちが空しく失われていくことは神の御心ではありません。イエス・キリストの復活は私たちの復活の手本です。私たちを抜きにしては、イエス・キリストの死も復活も、神にとっては何の意味もありません。私たちのために全ては計画されたからです。何と素晴らしい愛でしょう。私たちは神の作品として、それほどまでに愛され大切にされているのです。
あなたは私のたましいをよみに捨て置かずあなたにある敬虔な者に滅びをお見せにならないからです。あなたは私にいのちの道を知らせてくださいます。満ち足りた喜びがあなたの御前にあり、楽しみがあなたの右にとこしえにあります。(詩篇16篇10-11節)
イエス・キリストの復活を心から感謝します。
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード祈りの家族
桜井 剛