親愛なる祈りの家族の皆さん
最近、テレビや新聞のニュースによって、いたましい事故や事件が続いているのを知らされて大変心を痛めています。皆さんもきっとそう感じておられるに違いありません。
私はそのニュースを知らされただけでも心が痛むのに、当事者の方々はどんなに苦しみ、悲しんでおられることでしょう。どんなに厳しく裁いてもあきたらないことでしょう。けれども、行われてしまったことはもとには戻りません。どんなに大きな代償もそれを償うことはできません。それによって心の傷が癒されることもありません。
けれども、神は私たちが経験する苦しみがどんなに大きなものであっても、私たちが耐えられないような苦難をお与えになることはありません。
あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。(コリント人への第一の手紙10章13節)
神は罪を憎んでおられますが、罪人を憎んではおられません。罪人さえも愛しておられます。たとえ、人の罪がどんなに大きくても、神は、人間の法律とは違って、罪に応じた大きな罰をお与えになるのではありません。罪は罪自体が、その人を苦しめているのです。
罪と罪による苦しみの絶えない、この世においては、神の赦しを受け入れるまで、苦しみは何らかの形で私たちに及び続けます。ですから、神はイエス・キリストを通して、罪の結果に苦しんでいる人を癒し、罪人を悔い改めに導くために、愛の手を差し伸べて、十字架の苦しみをご自分の上に負われたのです。誰でも、イエス・キリストを信じて罪の赦しを受け入れるなら、罪から解放されて、神の子どもとしての一歩が始まります。日々キリストを手本として歩み、救いの完成者であられるキリストが再びおいでくださるのを待ち望む者とされるのです。
私たちのまわりは不完全さと罪の故に苦しみに満ちています。しかし、そればかりではありません。よく注意して見るなら、実は喜びも、感謝も、安らぎも、希望もあります。完全で平安に満ちた新しいいのちを、神が私たちのために用意してくださっているからです。ですから、神との関係をしっかりと持ち、この人生を大切に生きてまいりましょう。やがて私たちは完成されて永遠のいのちを受けるのです。イエス・キリストが私たちを永遠の国に迎えるために再び来てくださるからです。今、私たちが経験する喜びも平安も満足も、完全ではありません。永遠に続くこともありません。永遠に続く究極の喜びの、前味だからです。キリストの再臨の時には、私たちの命は完成されて、空中に引き上げられ、神と共に新しく生き始めます。
数か月前、私は何百億円もする高価な宇宙旅行についてお話しました。しかもそれは大きな危険を伴う旅行です。空気も引力もなく、強い宇宙線を浴びる、危険な空間を通らなければなりません。宇宙船にたどり着いても、特別な訓練を受けた人以外の滞在は一週間です。それ以上は耐えられないからです。宇宙から眺める星空や、地球の姿は、きっとそれだけの価値があるのでしょう。けれども、私たちに約束されている、イエス・キリストの空中再臨にはそのような危険はなく、イエスとの再会に続いて、約束された神の国に迎えられるのです。
主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。 (テサロニケ人への第一の手紙 4章16、17節)
それがどれほど栄光に満ちたものか、聖書に書いてある以上の事は私には分かりません。しかし、今までにも聖書の予言は驚くほどこと細かく成就しています。残されている神の約束も必ず成就します。それがどのように起こるのか分からなくても心配する必要はありません。
わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。(ヨハネ14章2、3節)
その時まで、今の困難な時代を、互いに祈り合い励まし合い希望を持って生き抜きましょう。
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード祈りの家族
桜井剛