祈りの家族への手紙:2020-01

レックス・ハンバード祈りの家族

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 親愛なる祈りの家族の皆様

 私たちはどんなことをするときにも人の評価を気にしがちです。自分を評価してほしいよく思われたい、という気持ちを持っていて、人に良く思われることを期待するからです。何か良い事をしようと思っても、しばしばそれが邪魔をして、本来の良さを十分に発揮できないことがあります。また、人の目を気にし過ぎてせっかくの善行が表面をとりつくろうだけの偽善になってしまうこともあります。それでは自分も相手も失望したり傷ついたり、良い行いをすることの大切な意味を見失ったりしてしまいます。

 私たちの善い行いや努力が神に喜ばれるものとなるよう、イエスはこう言われました。

 人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から報いを受けられません。(マタイの福音書章1節)

 人に良く思われることがいけないというわけではありません。人の評判を良くする努力は悪い事ではありません。けれども、しばしばそれが私たちを束縛する原因となることがあります。本当に良い評判は自分の思惑とは無関係に、善い行いの結果として起こるのです。

 どんな動機からにせよ善を行なうことを、イエスはとがめておられるのではありません。イエスが心配してくださるのは、私たちが人からの報いを意識しすぎて、あなたを造られた神からの報いを見失ってしまうことです。

 例えば、大きな災害が発生した時、災害救援と復興のためにボランティアとして、多くの方が出かけて行きます。それは大変素晴らしいことです。助けられる被災者の喜びも大きなものですが、助ける側の喜びはもっと大きいかもしれません。誰かの役に立たつことは大きな幸福感を与えてくれます。神は人間をそのようにお造りになったのだと思います。 それもごく自然の神からの報いと言えるでしょう。

 私もまだ元気だった頃、東北の津波被災地のボランティアに参加したことがありました。一晩中バスに揺られて翌朝到着し夕方まで働いて、疲れ果てて帰って来ました。けれども、心は満たされていました。現地の人々に感謝されたからではありません。私たちのグループは、現地の人に会う機会はほとんどありませんでしたので、感謝の言葉をかけられることもありませんでした。けれども、役立ってよかったという喜びで一杯でした。報いはそのような喜びと充実感だけではありません。天の父はそれよりももっと大きな永遠の報いを用意しておられます。けれども、もし誰かが人からの報いを求めてあらかじめテレビ局や新聞社に知らせて、救援に行くから必ず報道してくれるように手はずをしてから出かけたとしたら、外国人が多かった私たちのグループは、多くの人から注目をされていい気持ちになったかもしれませんが、誰もそれを望んでいませんでした。そのようにして人からの誉れを受けてしまっては、もっとすばらしい、神からの誉れを受けることはできないからです。

 祈る時も同じことが言えます。神は私たちが願うことよりもはるかに良い事を計画してくださっているのに、自分の願いに固執して、もっと良い祈りの答えを見失ってしまうことがあります。目先のことに執着して、今の試練の先には素晴らしいことが用意されていることを見落としてしまうからです。祈る時は、どうか神の御心を意識してお祈りしてください。祈りがすぐに聞かれることも喜ばしい事ですが、もう少しの忍耐の後にはあなたが願ったよりもっと良いことを神が用意しておられるのかも知れません。ですからあなたの願いを神に祈ったら後は知らん顔、ではなく、神と語り続ける習慣を持ってください。

 人に良く思われたいと思って行動する善い行いと、自分の考えている通りに神にやっていただくことを願う祈りとは共通するところがあります。目先のことにとらわれて、もっと大きな素晴らしいものがその先に続いていることを見落としてしまうからです。

 神はいつでもあなたへの最善を用意しておられるのです。それが分かったとき、「神が私のことをこんなに心にかけてくださっている」という喜びと安心は、どんなにか大きなものとなることでしょう。神の愛と恵みは、私たちの思いをはるかに超えて大きく深いのです。

 そこで、神があなたのことをいつも御心にとめてくださっていることを日々確認するために、2020年のあなたの聖句を選びました。このことばを一年間あなたの心にとめて、神とのより深い関係を日々持ち続けてください。

 あなたは愛されています。

レックス・ハンバード祈りの家族

桜井 剛