祈りの家族への手紙:2020-02

 レックス・ハンバード祈りの家族

357-8799 日本郵便飯能郵便局私書箱18

祈りは祝福への鍵
 信仰がその扉を開きます

親愛なる祈りの家族の皆様

私たち日本人は大変礼儀正しいと言われています。誰でも人に会うと、まず頭を下げて挨拶します。山歩きや散歩の時、知らない人にも挨拶をするのは気持ちの良いものです。深く頭を下げて静かにお辞儀をする場合も、親しみを込めてうなずくこともあります。今この人にはどのように挨拶をすることが適切なのか、相手や状況によって挨拶を使い分けているのです。その使い分け方は、習慣なので説明はできませんが気持があれば自然に出てきます。

何年も前のことですが、アメリカの前大統領オバマ氏が天皇を正式訪問した時、大統領が頭を深く下げ過ぎたのではないかと報道されて、大きな話題になったことがありました。

アメリカのあるローカルのラジオ局がそれを話題にして実況放送で座談会を開きました。多くの人の意見が出たところで、「では、日本人に聞いてみよう」ということになりました。そのラジオ局に私の友人がいて、デレクターに私の電話番号を伝えたらしく、真夜中に電話がかかってきました。「今から電話で座談会に参加して意見を聞かせてほしい」と言うのです。大統領と天皇の会見の様子はテレビで見て知ってはいたので承諾したのですが、電話がかかってきた時は日本では真夜中で、頭の働きもしっかりしていないうちに「日本人としてどう感じましたか」と聞かれても、説明に迷ってしまいました。「挨拶は国や民族によっても個人でも違います。大統領オバマ氏がアメリカ人なのに日本式の礼を丁寧に行なって敬意を示したことは、彼の人格が現われていてとても良い印象を受けました」と答えました。

私たちが神に祈る時も、まず、心から神に挨拶をします。偶像礼拝者のように、いきなり自分の願い事を並び立てるようなことをしてはいけません。神は初めから私たちの心の内を全てご存じです。ですから、私たちの気持を神に向けるために、心を込めて語りかけるのです

では、神に挨拶をして語り掛けるにはどのような言葉や態度で始めたらいいのでしょう。あなたの心からの気持を言葉にして語りかければいいのです。

 私の場合はこのように祈りはじめます。

全知全能の主よ、私に命を与えてくださっている、愛する天の父なる神よ、救い主イエス・キリストを私のために与え、私の罪を全て赦してくださった恵み深い父よ。あなたの聖なる霊を私の中に住まわせ、日々の歩みを導いてくださってありがとうございます。あなたは本当に素晴らしい方です。感謝します。

イエスご自身もしばしば神に語り掛けてお祈りになりました。ほとんどの場合、わが父よ、または父よ、アバ父よ。と呼びかけておられます。

「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。」マタイ 11章25節、ルカ10章21節

私たちも祈る時、まず神に挨拶をして、呼びかけることにしましょう。神との親しい交わりがなりたち、そこに神の臨在を感じれば、祈りが届いているという確信が持てます。

ではどのような態度で神に語り掛け、挨拶をしたらいいのでしょう。深々とお辞儀をすることでも、軽く会釈することでもありません。心を込めて神に近づくことです。そうすれば神もあなたに近づいてくださいます。(ヤコブ4章8節参照)

「全知全能の神よ」でも、「私の天のお父さま」でもいいのです。とにかくあなたのありのままの気持ちを込めて神に呼びかけてみましょう。

イエスの時代に、宗教的指導者たちや律法学者パリサイ人や祭司たちが人前で恰好をつけて祈っていたのをご覧になって、イエスは人々に、こう祈るようにとお教えになりました。

天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。(マタイ6章9節)

「主の祈り」について詳しくは今月の祝福のメッセージに書きましたのでお読みください。

大切なことは祈る時祈りを聞いてくださる神とあなたがしっかりつながっていることです。そうすれば、あなたの祈りが神に届いていることを確信して待つことができます。そのような祈りはきっとこたえられます。たとえすぐに答えられなくても、安心して待つことができます。日々神を近くに感じ、神とつながっていることを実感しつつ生きることができるとは何と素晴らしい安心できる人生でしょう。何があろうとも神があなたと共にいてくださるのですから。

あなたは愛されています。

レックス・ハンバード祈りの家族

桜井 剛