親愛なる祈りの家族の皆様、
2020年もいよいよ終わりに近づきクリスマスの月となりました。神は私たちを愛し特別に心にかけてくださっています。クリスマスは苦しみの中にある私たちに神が必ず救いの手を差し伸べてくださることの保証でもあります。
2000年以上も前の人類の歴史の中で神がお選びになったイスラエル民族が大きな苦しみを経験していました。頑強なローマの支配下にあって暗黒の時代だったからです。その苦しみの中から彼らはメシヤ(キリスト)を待ち望んでいたのです。神は、神を愛し、救いの約束を信じていた人々をお見捨てにはなりませんでした。
見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝きその栄光があなたの上に現れる。(イザヤ書60章2節)
神は今の時代の私たちにも同じように救いの手を伸べてくださいます。自然災害や、コロナ禍のために多くの人々が苦しんでいます。あなたもその一人かも知れません。感染におびえて引きこもっていますか。仕事を失なったり、事業に打撃を受けて絶望しているかも知れません。大切な親族や友人に会うこともままならず、孤独を感じて落ち込んでいるでしょうか。そんな全ての方々が目をあげて、クリスマスという出来事の中に示された神の愛にふれて、元気になっていただきたいと願いながら、私はこれを書いています。
神は危機の中にあったイスラエル民族に救いの手を差し伸べてくださったように、今の時代にも変わらない愛と救いの手を伸べて、苦しみの中から助けを呼び求める私たちに、希望と喜びの光を与えてくださいます。それを自分のものとして受け取るため、信仰と感謝を持って神に近づきましょう。
この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。(ヨハネの福音書1章4節)
すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。(1章9節)
苦しみの中にも感謝の種はあります。苦しんだからこそなおさら感謝できるようになるのです。自然災害によって家族の命が脅かされ、住む家を台無しにされて絶望しきっていた人のところにボランティヤの手が差し伸べられた様子をテレビで見ました。到底手の施しようもなかった泥に埋もれた家にボランティヤがやってきました。泥かきがきれいにできて、喜びと感謝の笑顔を見せていた被災者の顔が今も私の心に残っています。それで全てがもと通りになるわけではありませんが、元気を与えられて、次の一歩が踏み出せるのです。
感謝することには何の代価も労力も必要ありません。誰にでも出来ることです。けれども、感謝する人にも、感謝される人にも、大きな力を与えてくれます。
今、世界中の科学者や薬品会社が、コロナに苦しんでいる人々のために一日も早く治療薬やワクチンを届けようと、頑張っています。利害で対立していた世界中の国や人が、対立関係を超えて、目に見えない共通の敵と戦うことなど、めったにありません。そういう意味ではコロナ禍はこれからの世界に希望を与えてくれます。憎悪と争いに代えて思いやりと一致があれば、私たちは問題を乗り越えられる、ということを学んでいるのです。社会だけでなく個人個人の生活の中でも同じことが起ります。
これを書いている最中にワクチンが完成して、もうすぐ接種が始まるというニュースが流れました。暗いトンネルの先にやっと光が見えてきました。もう少しの我慢です。
コロナ禍が終わっても、どんな時代にも、困難や苦しみはあるでしょう。しかし、神を信じて待ち望む私たちには、困難の後に必ず素晴らしいことが待っています。この苦しい一年が過ぎた後に、どんな良いことが始まるのか期待しましょう。
神が私たちを通して素晴らしい事を起こしてくださるためには、困難や苦しみだけに目を奪われているのではなく、全てを支配しておられる神に心を向けていることが大切です。
神の祝福を余すことなく受け取るために心を備えましょう。救い主は既に私たちのもとに来てくださったからです。この世が不安に脅え、動揺していても、私たちはイエス・キリストにあって喜びに溢れているのです。あなたが日々神の恵みと愛に感謝して輝いているなら、あなたの周りも自然に明るくなって、喜びの笑顔が広がっていくことでしょう。
イエス・キリストから来る私たちの喜びを、誰かに分けてあげること、それが一番素晴しいクリスマスプレゼントです。
あなたは愛されています。
レックス・ハンバード祈りの家族
桜井剛
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