祝福のメッセージ:2020ー12

No.202012

あなたの信仰があなたを救った

 イエスはエルサレムへ行かれるとき、サマリヤとガリラヤとの間を通られた。そして、ある村にはいられると、十人の重い皮膚病人に出会われたが、彼らは遠くの方で立ちとどまり、声を張りあげて、「イエスさま、わたしたちをあわれんでください」と言った。イエスは彼らをごらんになって、「祭司たちのところに行って、からだを見せなさい」と言われた。そして、行く途中で彼らはきよめられた。そのうちのひとりは、自分がいやされたことを知り、大声で神をほめたたえながら帰ってきて、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。これはサマリヤ人であった。イエスは彼にむかって言われた、「きよめられたのは、十人ではなかったか。ほかの九人は、どこにいるのか。神をほめたたえるために帰ってきたものは、この他国人のほかにはいないのか」。それからその人に言われた、「立って行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのだ」。(ルカの福音書17章12-19節)

 イエスのたとえ話についてはしばらくお休みにして、今回は神の恵みに感謝することがどんなに大切な意味を持っているのかを学びましょう。

 イエスは宣教のために村々を訪れて、そこに住む人々に神の国を伝えておられました。弟子たちをはじめ大勢の人々がイエスに従ってついて行きました。

 すると群衆からは遠く離れた所から、「私たちを憐れんでください」と叫ぶ人たちがいました。それは群衆の中に入れない「汚れた人」と言われる人たちです。

 隔離を強要されていて、ちょうど、コロナを恐れて自主的に外出を控えるよう求められている私たちのようです。けれども、彼らの場合はもっと深刻でした。

 彼らは祭司によって汚れた病と宣告され、家族からも離れて、決まった隔離所に行ってそこで生活しなければならなかったのです。それはとてもみじめな境遇でした。「私たちをあわれんでください」という叫びにその気持ちがにじみ出ています。「なぜ私がこんなめに合わなければならないのか」と思ったことでしょう。もしあなただったらどんな気持ちになるでしょう。いま叫び声をあげたい気持ちになっている方もおられるかも知れません。けれども安心してください。イエスはあなたのやりきれない気持ちを理解してくださっています。ですから、思い切り、「私をあわれんでください」と呼びかければいいのです。

 けれどもその時には大切なことを忘れてはなりません。自分の身に起こったことについて神に感謝することです。10人の病人のうち、感謝してイエスのもとに帰って来たのは、ただ一人だけでした。イエスはその人にあなたの信仰があなたを救った」と言われました。

 神の助けを求め、神の恵みに感謝することによって、このサマリヤの人の上に癒しの力が完成しました。そして新しい祝福の時間が始まりました。彼はもとの生活に戻ったのではありません。新しい人生のスタートを切ったのです。ただ、癒されてそれで終わり、ではあまりにももったいないではありませんか。

 イエスのもとに戻って来なかった9人はどうなったでしょう。彼らはそれぞれ元の生活に帰り、あたかも何もなかったかのように同じ生活を続けたでしょう。勿論それも大きな恵みでしょうが、彼らはやがてその恵みを忘れて、不平、不満が戻って来たのではないでしょうか。彼らの人生は本質的には何も変わりません。せっかく永遠のいのちの与え主である神の御子にお会いしたというのに、彼らは本当の祝福のチャンスを逃してしまったことになります。私たちも同じ過ちをしてはいないでしょうか。

 病気や困難はいつでもまたやってきます。またほかの問題もやって来ることでしょう。もし、私たちを救ってくださるイエスの愛と力をしっかりと受けとめて、心から感謝を表し、イエスと心がつながっていれば、これからはどんなことが来ようと、安心してその困難と向き合うことができるのです。そこが大切な点です。イエスはそのことを私たちに教えようとしておられるのです。

 私たちには感謝すべきことがたくさんありますが、感謝の心をしっかりと表すことをしないままで、すませてしまうことがあります。それは与えてくださった方に対して大変失礼であるだけでなく、自分自身にも大きな損失となります。感謝の心を表すことはどんな返礼の贈り物をするよりも心の深いところに届くからです。

 旧約聖書には、詩篇の中だけでも、「主に感謝しなさい」、「感謝します」という言葉が60回以上書かれています。

 感謝することは、ただ単に何かをしてもらったことに対するお礼の言葉だけを意味するのではありません。もちろん、お礼を言うことも大切ですが、感謝することにはもっと大きく深い意味があります。「ありがとう」というだけでなく、心が感謝をすることです。

 感謝の言葉には心がついて行き、感謝を表す喜びの笑顔が伴っています。感謝することは、その親切な行いを好意として受けとめて、感謝していることを相手に伝える平和の使者を送ることです。

 目に見える物の価値だけで値踏みすることに慣れてきた現代人は、いつの間にか感謝することが持っている、形には表せない大きな価値を忘れかけているのかも知れません。感謝することを忘れないようにしましょう。特に、私たちを愛し、いつも私たちにとっての最善を行なってくださる神には、日々感謝し、感謝を伝えましょう。